第二十六話 好きこそ遊びの始まりなり

   
   

カッコイイとか言う感覚は人それぞれなのですが、それは何を意味しているかと言うと、その人の正直な感性から出ているものではなかろうか? そのカッコ良いとう感覚は見た目だけでは無く、スピードも居住性もクラシック感やモダン感など全てを含んでおり、スピードを求める人はいかにも速そうな見た目をカッコイイと感じるのだろうと思います。

つまり、見た目で気に入ったヨット、カッコイイ、美しいと思ったヨットがその人の今の欲求に合うという事です。だから見た目で選んで良いという事になります。但し、質のレベルまでは解らない。そこは費用が最もかさむ処なので、価格に比例する。つまり、同じサイズで同じコンセプトで同じ様に見えるヨットでも、価格が結構違うと質もそれなりに違うと思います。まあ、見慣れてくると見た目だけからでも質の高さを感じる事もあります。結局、見た目と価格で選んでいいと思う次第です。

但し、そこに見栄や他人の意見というものが入り込むと少し違ってくるかもしれません。自分の本当の感性から来る感覚が濁ってくるからです。でも、それさえも意識して見栄も含んでいる事が解って選ぶのなら、それも正しい選択なんだろうと思います。自分で解っているわけですから。

特に遊び物は自分の感性と予算で選ぶ。だからこそ世界には様々なヨットが存在できるという事になります。誰もが自分にとって正解を求めるわけですが、自分の感性こそがその正解を知っているのではないでしょうか?もし、感性がみな同じならこんなにいろんなヨットが出てくる事は無いし、良いヨットはひとつになてしまう。そんな事はあり得ないわけですから、考えてみれば全てのヨットはそれを選んでくれた人にとって良いヨットなのでは無いでしょうか?

という事は何度も言ってますが、自分の感性から出てくる欲求に素直に従う事が必要なのではなかろうか。とは言っても知識が不要というわけではありません。たまにですが、これで外洋行けますか?と聞かれる事があります。行けるだろうけどそういうコンセプトのヨットではありません。行けばより苦労するだろうという話をしたりする事もあります。という事は、そのヨットのコンセプトだけは押さえておいた方が良いのかもしれません。そのうえでの感性という事になりますね。気に入るという要素は何より重要な事だと思います。


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