第三十三話 僅かな差が大きな違いとして現れる

   
   

セーリングしていて後ろから追いついて来るヨット、まだまだ遠いと思っていたのが、いつの間にかすぐ後ろまで来て、横を通り過ぎる時はあっという間に抜かれていく。その逆もしかり。でも、その差はそんなに大きいものでは無いと思います。差は僅かでも、抜かれる時はあっという間。

同じヨットを上手い人が操作すると速いけども、むちゃくちゃ速くなるわけじゃ無い。また、同じ様なコンセプトのヨットなら、そのふたつは無茶苦茶スピードが違うわけじゃない。その差は少し、でも、スーっと抜くし、抜かれる。僅かな差は実は大きな差として現れる。

その僅かな差は、感覚的にも違ってきます。1ノットと1.5ノットの違いと7ノットと7.5ノットの違いは同じ0.5ノットの差ですが、感覚的には全然違う。要は、我々の感覚は物理的な差よりも大きく捉えるのではなかろうか?それがスピードが高ければ高い程、大きく感じるのではなかろうか?

つまり、細かい操作をします。設置された艤装を駆使していろいろ操作をします。トラベラー、バング、バックステーアジャスター、カニンガム等々をいろいろ操作してもその差は僅か、でも、それが大きな差を生み出す。そこがセーリングの醍醐味ではなかろうか? 圧倒的にスピードを増すにはセールをでかくする方が効果的です。それでも繊細な操作をする意味はそこに繊細な面白さがあるからではなかろうか?セールをでかくして走る面白さももちろんあります。でも、それだけがセーリングでは無い。

セーリングの理屈を理解して、繊細な感覚を持つなら、最高のセーリングを楽しむ事ができるだろう。でも、理屈も繊細な感覚も、どちらもすぐに手に入るものでは無いので、長年の経験から徐々に積み上げていくものだと思います。そうならそのプロセスがまた面白いという事になります。むしろ、頂点に達するよりプロセスの方が面白いかもしれませんね。

そういう取り組みがあればこそ、ピクニックも宴会も泊まりも、メインテナンスさえ楽しませてくれるのかもしれません。これも大きな違いを生み出す事になると思います。


目次へ      次へ