第五十九話 レージャーとスポーツ、そして冒険

   
   

ピクニックをすればレジャーになり、セーリングをすればスポーツとなり、そして長旅をすれば冒険にもなります。同じヨットを走らせても使い方によって様相は変化します。誰もがヨットの操船について学びますが、自分がどういう風にヨットとつきあって行きたいかが最も重要ではないかと思います。操船技術はある程度習得したとしても、その後の長い年月をどう過ごすか? それによってその後の10年、20年が曖昧だったり、充実したり、ヨットを放り投げる事になったり・・・

ヨットを始めれば誰でもすぐにある程度は乗れるようになります。しかし、問題はここからで、乗れる様になってピクニックしたりしますが、大抵はいつもピクニックだけでは満足できなくなり、楽しいのは楽しいがそれ以上でも無くなり、やがては滅多に乗らないという状態になっていく。人によってはそこからクルージングを楽しむようになる人も居ればレースに行く人も居る。でも、滅多に乗らなくなる人達も多い。持ってるだけで満足という人も居るかもしれませんが、それもそう多くは無いと思います。

問題は乗れるか乗れないかでは無く、上手いか下手かでは無く、どうやってヨットを使っていくかだと思います。それがピクニック止まりにすると余程ピクニックに工夫をしていかないと続かなくなる。何にしても長く続けるコツは何らかの工夫をして進化し続ける事で、工夫するから進化し進化するからまた工夫する。何年も生涯進化を続ける事が必要だろうと思います。

但し、例外もある。日常的に忙しい方が休息を取りたい時、何も考えずにセーリングして気を休めるような時、或いはセーリングしながら何かを考えアイデアを得たい時、普段の陸上とは全く異なる環境に身を置く事で新しい何かを得る事もあるかもしれません。でも、これもセーリングをスポーツしている事なのではないかと思います。いうなればピクニックは陸上の気分を海に持ってきた、陸上の延長の上にあるのではなかろうか?それはそれで良い。でも、セーリングと冒険は異なる次元にあり、陸上を断ち切った上での行為なのではないかと思います。

つまり、レジャーは陸上と重なる処があり、スポーツと冒険は日常から隔離された処にある。だから辛い事もあるだろうが、そこから得られる特別の面白さがある。こういうソフトをもっともっと創り上げていかないと日本のヨットは広がっていかないのではないかと思います。だからまずは目の前の海域でセーリングをスポーツしては如何でしょう。そこからまた何か見えてくる事もあるかもしれません。日本のヨット文化に足りないのはヨットをどう使うかというソフトの問題だと思います。


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