第七十五話 ヨット、今昔 @

レーサーの目的はスピード、レースに勝つ事です。この点においては、確実に現代のヨットの方が昔のヨットより優れています。この事に異論は無いと思います。しかしながら、クルージングという観点で見ますと、必ずしも、現代のヨットが昔のヨットより優れているとは言い難い面もあると思います。それは、クルージングという課題が、あまりにも多様性があるという事だと思います。レーサーのように、スピードという一点に絞られるならば、事はまだ簡単なんだと思います。しかし、クルージングは、ちょっと考えただけでも、頑丈さ、セーリング性能、乗り心地、見た目、居住性等々、たくさん出てきます。それにコストという大きな課題がのしかかります。それらの要素は単独では存在せずに、互いに影響しあっています。従って、何を見るかによって判断は異なり、同じポイントを見ても評価は異なり、一概には言えません。見方によっては、昔のヨットの方が優れている事もあると思います。

進化を全て良しと見るのでは無く、単なる変化として捉えた場合、そこに執着心は薄れる。その変化は良いか悪いかと見ますが、進化は無条件に良いものであるという気持ちがあるような気がします。そこで、単純に変化と見て、違いを考えるのも有りではないかと思います。

ヨットの変化は人間の変化ですから、人間がどう変化していくかによって変わってくる。全ての人が外洋を目指すなら、ヨットは外洋艇として大きな進歩を得たと思いますが、使い方はばらばらです。
ですから、そのスタイルによって変化するのが当たり前ですから、それを古い、新しいで良し悪しを決めるのは間違っていると思います。ヨットの変化は人間の考え方の変化そのものです。

ただ、素材としての変化は大きい。木造がFRPになり、カーボン、ケブラー、工法の変化などなど、新しい技術が開発されてきました。でも、考え方の変遷にそって使われますから、重要な事は人間の考え方です。考え方の条件が一定であるなら、レーサーのようにスピードであるなら、確実に進化を遂げている。しかし、条件が一定で無いなら、やはり考え方に影響されると思います。

ヨットが広がるといろんなスタイルの使い方が出てくる。そういう意味では選択の幅は広くなったと言えます。昔なら、これしかない、と言うのが、ああいうのも、こういうのもある。ヨットはこうでなければと選択の幅が狭かったのが、いろんなのが今はある。それは良い事でしょう。でも、逆に、自分のスタイルがぼやけていると、何を選んで良いか解らなくなる事も事実かと思います。

古いデザインは悪い、遅れている、新しいデザインの方が良い、と決め付けはしないで、どこがどう違うかを見て、自分のスタイルと検討するようにした方が良い。もう一度言いますが、どこを見るかによって、昔のデザインの方が良かったり、新しい方が良かったりすると思います。どっちが良いかは新しいから古いからでは無く、それが作られる人間の考え方の背景が反映されています。その考え方に同調するか、しないかの違いで、良い、悪いの問題では無いと思います。

自動車の世界は大きく変化してきました。それは自動車そのものの変化ばかりか、走る道路の変化も伴っています。日本中、どこ行っても、田舎に行っても、たいていは道路が舗装されています。つまり、走る環境も変わってきた。もし、道路が昔のままなら、自動車も今とは違うでしょう。これに対して、海や風は昔のまま、舗装なんかできません。波を抑える事も、風をコントロールする事もできない。つまり変わったのは、ヨットだけです。それに影響を与えたのは人間の考え方という事になります。

細かいポイントと別にして、大きくは、昔は外洋志向だったのが、今は外洋目指す人より、目指さない人の方が遥かに多いという事です。そうしますと、その市場のメジャーな部分においては、外洋艇は不要になったという事になります。それでは彼らは、何を求めているか。その求めている欲求に対して、応じたコンセプトのヨット造りという事になります。それじゃあ、それに応じたとはどんな事か、そういう分析と対応が検討される。それが今の最も多いヨットです。

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