第一話 快を求める

遊びは快を求めます。心地良さです。それにはたくさんの種類があって、楽しい快、多少の緊張感を伴う快、家族団欒の快、仲間との集いの快、学ぶ快、成功する快、発見する快、スピードの快、知識が増える快、人は遊びどころか、できれば全ての機会において快を求めます。しかし、実際は全てがうまく行くわけではありませんので、遊びにおいては少なくとも快を見つけたいと思います。

遊びに快を求めるには、積極的な快と消極的な快があります。テレビを見て面白かったというのは消極的な快かもしれません。それが出かけて行って、映画を見に行くとかなると少し積極性が生まれる。消極的快か積極的快かは、その人次第ですが、何かをしようと言う動機は積極的快、それもヨットなんかやろうとする方はかなり積極的かと思います。

結局、遊びに限らず、人は全てにおいて快を求めています。仕事するのも、給料という快を求めますし、できればそこに生きがい(快)も求める。生きてる限り、何がしかの方法で快を求める。ただ、積極的か消極的かの違いだろうと思います。求めれば、快以外の事もやってくる。でも、求めなければ快は来ない。さて、どうするか?

少なくとも、遊びにはできるだけ多くの快を求めて、積極的に遊んでいただきたいと思います。その得た快が多ければ多い程、質が高ければ高い程、心の栄養になる。心はより健全になる。また次の快を求めるエネルギーにもなります。人が行動する源かと思います。

それでヨットやるにもいろんな快が存在しますから、どんどん求めて頂きたい。たくさんの中のいくつかに限定する必要も無く、興味あれば何でも積極的に求めてほしいと思います。そして求めた人だけがその特定の快を得る事ができる。ここでも、求めれば快以外も来る。それを全部受け入れる事が逆に求められます。

セーリングすればスプレー浴びたり、寒かったり、暑かったり、雨に降られたり、冷や汗かいたり、でも、それらを受け入れる事で大きな快も得られます。結局、その大きな快を得るか、何もしないかです。何もしなければ暑さ、寒さも無いが、快も無い。

より大きな快を得る為に、工夫も必要でしょう。知性と行動が必要です。ただ何となくセーリングしても快はあります。でも、そこに積極性がもっと加わりますと、例えば思い描いたセールカーブを意図して作る。その結果快走が生まれるとしたら、その快は非常に大きな快になる。つまり、ヨットは意図して、行動して、より一層大きな、質の高い快を求めようとする積極的な行為で、どうせなら、ぼ〜っとセーリングする時もありますが、積極的に快を求めるセーリングをしても良いかと思います。だんだん解ってきますと、セーリングの理想のイメージができてきます。その自分が持つイメージを現実に再現しようと試みる。それがうまくいけば大きな快です。半分うまくいけば半分の快、半分の快ですが残り半分は不快かと言うと、謎という快もあります。何もしなければ快は無い事になります。

生きてるだけでは不快です。生きてる事は有り難い事なのでしょうが、それだけでは不快に思ってしまう。快をどんどん求めていかなければ、ほっとけば人間は不快を感じるようになると思います。
ですから、積極的に快を求める習慣を持つ事は積極的に生きる事になると思います。

デイセーリングは繊細な快を求める手段かと思います。言うならば感性を刺激する快です。豪快さよりも繊細さ、微妙さ、頭脳プレー、そういう事を求め感じる快かと思います。大きな違いよりも、微妙な差をも感じ取る繊細さです。旅の快は色で言えば、赤か青か緑かと大きな違いを味わう快ですが、デイセーリングの快は同じ青でも濃い青、薄い青などの違いの快かと思います。そうなると、セーリングにおいても、セッティングの違いから来る変化を味わう。繊細ですから神経を使う、それには集中力が必要、集中したら10時間も続けられませんから、2〜3時間程度が最も良い。

そういう乗り方をするには、船底はきれいじゃないといけませんね。汚れていますと快が減ります。セールもあまりにもくたびれたセールだと快が減る。シート類も古く固くなったシートでは快が減る。これらが総合して快は大きくなっていくと思います。ですから、メインテナンスをしっかりやって、快を少しでも大きくしないといけません。そのうえで、快を求めて走ると今度は自分が繊細になってくる。微妙な違いを感じる集中力を持つと自然に繊細になる。

旅をする時はあまり繊細になってもくたびれるので、ある程度はおおまかに。ゆったり構える必要があります。何しろ長い旅です。ヨットは乗り方によって、繊細にもなれば豪快にもなります。臨機応変に使い分けができれば良いと思いますが、基本的に性格がありますから、どっちが自分に合うか?多分、ご自分で解ると思います。

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