第七十八話 カッコイイ自分を味わう

何が気持ちが良いって、自分自身をカッコイイと思える時は気分が良いものです。カッコイイ自分とは何か?そこで、何かを達成しようとか考えます。しかし、何を達成しようとも、それは達成した瞬間から、どんどん消え去っていくものです。人によっては、また次の何かを達成しようと頑張る。でも、それもまた、達成した瞬間に、高ぶった気持ちは薄れていく。それが宿命です。

でも、それで頑張れる人は、そうしたら良いと思います。でも、そういうすごい事ができない私を含めた凡人はどうするか? それで、開き直って、何もする事に執着しなくても良いと考えています。
どうせ達成しても、すぐに消えうせていくのなら、する事にこだわらなくても良いと思っています。

では、どうしたらカッコイイ自分を味わう事ができるのか?と、考えますに、達成では無く。今している事の味わいを強調したいと思います。何も達成はしない。しないので世間の評価も無い。しかし、自分のしている事から自分なりの味わいを、深く味わう。するとどうなるかと言いますと、達成感の味わいでは無いこの感覚は、爆発的な高揚では無いかもしれませんが、いつも自分の中にある。それがいくつもいくつも積み重なって、外的では無いが、内的な財産となるのではないでしょうか?

引退した方、毎週、毎週、天候さえ許せば、セーリングに出られます。出ればいろんな事があるでしょう。それでも出る。セーリングを味わってこられます。基本的にはセーリングが好きでなければ続けられるものでは無いでしょうが、この単純に好きだから始まった行為は、その方に何かを積み上げている。他人には解らない何かをです。技術的にうまくなるのは当然ですが、うまくなるだけでは無いでしょう。また、多くの経験というのも的を得ていない気がします。それは多分、味わいという事になると思います。この味わいこそが、本当は全てではないかと思います。

何かを達成したとしても、プロセスにおける味わいでは無く、達成に重きを置きますと、プロセスがいくら辛いものであっても、達成する事が重要ですから、頑張る事になります。でも、一方で、頑張らない。楽しみながら、味わいながら、たとえ達成しなくても良い程度でも良いのではないかと思う次第です。その方が、味わいとしては良い。達成感はどうせは消えうせるものです。味わいながら、達成もすると、それなら良いですね。いやいや、達成なんかしなくても良い。

味わうという事。何を味わうか?そこが問題です。そこでカッコイイ自分を味わってほしいと思います。自分がカッコイイと思える事、自分の心を少し刺激する何か、乗らないで、ヨットにカバーをかけて美しさを保つのがカッコイイとは思えない。美しいヨットをどんどん乗って、メインテナンスして、磨いて、またどんどん乗る。これはカッコイイと思いますね。日本一周したこと無くても、どこに行った事なくても、ひとりで気軽にひょいと出れる人はカッコイイ。

カッコイイとは活き活きしている事です。何かを達成したのがカッコイイのでは無く、自分のしている事にわくわくしている人は、実にカッコイイ。そして、自分で艤装に工夫したり、操船に工夫したり、自分なりのスタイルを持っている人はカッコイイ。家族が来て、みんなでそうしているのもカッコイイし、家族が来なくても、自分で自由自在のセーリングをして、それで尚且つ家族にも感謝をしている人はカッコイイ。今、この時に集中して、味わっている人はカッコイイ。そう思います。いつか、遠くへも良いのですが、それはそのいつかにして、今している事を今味わう。

それで、やはりここでデイセーリングの登場になります。デイセーリングは遠くに行けないからするのではなく、そういう補完的意味合いでは無く、そうしたいからする。ひとりでぱっと出て、グルグル回って、その時の風と波と自分の気持ちを味わってくる。それは今日と明日でも違う。波や風が違うのは当たり前ですが、乗る自分さえも昨日とは違う。そんな所を意識するだけで、深い味わいができるのではないでしょうか?結局、味わいのいかんにかかっている。どれだけたくさんの種類の味わいを持つかが重要なのではないでしょうか。

そうなってきますと、うまいとか下手とか、どこ行ったとか、行かないとか、そんな事はどうでも良くなります。味わったたくさんの事に比べると、どうでも良い。体が感じ、頭が考え、気持ちが味わう。それが目の前でできるのがデイセーリングです。これこそがヨットでしかできない最高の事ではないでしょうか?他の事はヨットでなくてもできる。こんな乗り方もカッコイイと思うのですが?

ひたすら、こうやって味わっていきますと、いつか気が付く事がありますね。腕はどうでも良いといいましたが、そうはとんやおろさない。自然に腕も上がってくる。うまくなりたく無くても、自然にそうなる。頭が考えなくても自然に体が反応する。すると、感覚の割合がもっと増える。実に微妙な変化さえも感じてしまう。普通な気が付かない、ちょっとしたネジの緩みなんかでも気が付いてしまうんですね。以前は丁度良い風の時に最高の味わいを感じた人が、そうでも無い時にでも、面白さを感じたりもします。多分、それは外界では無く、自分の気持ちを遊んでいるからではないかと思います。強風になった時、微風の時、そういう時の自分の気持ち、感覚を遊んでいるからだと思います。そうなってくると、もう、外の事が丁度良い風が吹かないと面白く無い、何てことは無くなる?かもしれません。

ヨットをするにしても、何をするにしても、最後はやっぱり人間のする事ですから、人間の気持ちが大事なんだろうと思います。それは感情、フィーリングです。そこが最も大事かと思います。味わって、味わって、最後は死んでいくのは誰でも同じですから。その味わいこそが重要かと思います。
宴会も良し、ファミリークルージングも良し、レースも、クルージングもセーリングも旅もみんな良いと思います。

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