第四十一話 ただ黙って乗る

誰を誘おうか、何を用意しようか、或いは、セールカーブはどうだ、バックステーはもっと引いた方が良いか、もっと走るにはどうしたら良いか?そんな事を良く考えますが、それがゲームである以上、クルージングも含めて、ゲームである以上、どうしたら?と考えるのは当然であります。

しかし、敢えて、この暖かくなってきた良い日に、そんな事は一切考えずに、ただ黙ってセーリングに出てみてはどうだろうか?誰かを誘ったわけでもなく、速く走らせようとも考えず、ただ、舵を持って走る。もちろん、セールセットはしないといけませんが、細かい事は考えない。ただ、感じたまま走る。できるだけ何も考えない。そういうセーリングはどうか?と聞かれても解りませんが、ただ、ひたすら癒される感じがします。

ゲームならば、良い成績を残したいと思う。しかし、ゲームでは無く、ただひたすら浸るのみ。年に1回ぐらいはこんな乗り方も良い。こういう場合はできればシングルが良い。ちょうど、散歩気分のようなもの。健康の為に歩くのでは無く、気分が良いから、ただ風景を見ながら歩くのと同じ。何も考えずに。気使う相手も無く、おしゃべりの相手も無く、細かいトリミングはせずに、感覚のみでセーリングをする。エキサイトでも無く、スリリングでも無く、ただ静かなセーリング。

こういう時にもデイセーラーは良い。気軽に一人で出せる。上りを目一杯詰めるなんて事も無く。ただ、自分の思うままに、感じたままに、行きたい方向へ走らせる。こんな時は自分が静かでないといけません。自分がぎらぎらしてると、物足りなくなる。逆に、考えないようにすれば、落ち着いてくる。癒し効果抜群かと思います。人は何かをしたがる。でも、何もしないで、ただある状態。もちろんセーリングはしているわけですが、どうこうしたい、もっと速くなどを考えない状態です。そうした時に癒されるのではないか?特に海では。

セーリングをゲームにする時は全く異なる。エキサイティングであります。しかし、一旦、ゲームから離れると、癒し効果が表れる。それも自分次第ではありますが。これもセーリングのひとつ。これから、ひとつづつ、セーリングのバリエーションを考えるのも良いかもしれません。何にしろ、同じパターンでは何十年も乗れません。できるだけ多くのバリエーションを自分で持っておくのは悪く無い。誰かを誘う時、友人や家族や、仕事先の相手という事もある。また、ヨットに詳しいクルーの時もあれば、全く初めての人、或いは、ひとりでのセーリング、そして具体的セーリングにおいては、またいろんなのり方もあるかと思います。前記しました、ただ黙って乗るのもひとつ、ゲームとして、クローズに集中するとき、ダウンウィンドに集中する時、風の方向に常に合わせる、或いは逆に、風のシフトに関係なくひたすら進行方向をキープし、セールを合わせる。タック後の立ち上がり、他にも一杯あるんだろうと思います。

で、その中に、ただ、黙って乗るというのを提案しています。波の音に、風の感じに、ただ黙って浸る。そういう事もあって良いと思いますね、たまには。何をしたか?何もしていない。でも、ただ気分が良い。エキサイトでも無い、スリリングでも無い、恐怖も無い、何も無い。ただ落ち着いて、気分が良い。どうしたら、こうしたらも何も無い。ただ気分が良い。そんな時もあると良いなと思います。

人生はゲームだと誰かが言った。でも、ゲームなら勝ちたい。その為にはいろんな犠牲もあるかもしれない。人生はゲームだけれども、勝ち負けだけのゲームでは無く、まるで映画でも見るかのように、そのままをどうにかして、楽しむ事ができないか?精一杯やった結果、どうなるか?そこまで含めて、映画を楽しむかのように、楽しめれば良いような気がします。ですから、たまにはゲームから離れた方が良いのかも?

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