第六十五話 日本文化

素材を生かす。本来の素材が持つ性質をうまくいかし、余計な細工はしない。しかし、そのちょっとした細工に職人の技術が光り、使う人、食べる人への気遣いがある。日本人のきめの細かい心遣い、昔からある作法は思いやりの文化です。

これをこうしして、ああして、理論を打ちたて、そうしたらもっと速く走れる。これは欧米式の遊びかと思います。もちろん、日本人もそうやって遊ぶ。しかし、その先にまで及ぶのが日本人。そうやったら、どんな味わいがあるのかまでに及ぶ。それを慮る。効率が良い、生産性が良いだけでは不十分で、それを味わって頂くために、どうしたら良いかを考える。それが日本人の心かもしれません。時に、それは欧米人には理解しがたい事もある。

日本は海外から文化を取り入れ、日本式にアレンジして浸透させてきました。海外の物をそのまま使うのでは無く、自分達の生活様式に合うようにしてきた。日本のヨット界もそろそろ数十年が経ち、日本式ヨットのアレンジをしても良いかもしれません。何も畳でも敷こうという話では無く、自分達に合う使い方を考える。

先日、アレリオンでセーリングしていた時、ついつい後ろからついてきたヨットを引き離した事に喜びを感じていました。じつは、これはどうでも良い事で、得たスピードから何を感じていたかが重要だったのかもしれません。舵の感覚、動きの感覚、そういうものにもっと集中できていたら、もっと違う何か、感じを得る事ができたかもしれません。

速さがどうでも良いという意味では無く、速さがあれば、その速さでの感じもあるわけで、速いというのも大切かと思います。でも、ついつい人よりも速いと嬉しくなってきます。それはそれでも良いとして、ヨットが速く走る時の感覚を今度は味わってみたいと思います。

我々はどう頑張っても欧米人にはなれない。ならば和式の遊びで行きましょう。花見や月見で酒を飲む。これはヨットで酒を飲むのと変わりないかもしれません。でも、同時に花を見、月を鑑賞する心がある。ヨットでも、同じようにセーリングをも楽しむ。と言いましても、最近ではセーリングしながら酒を飲む事ができなくなりましたが。

昼間のセーリングがあり、日が沈む頃、夜のセーリング、微風、中風、強風、鑑賞するかのように、それぞれのセーリングにはそれぞれの味わいがありますから、花見や月見のように、鑑賞し、味わってみる。どれかが、他より優れているわけでは無く、それぞれに味わいがあると見る。これはとっても日本的かもしれません。セーリングを競争原理で見ると、そこには優劣がつきますから、そこから離れて、優劣をつけない遊び。これはレースほどエキサイティングでは無いかもしれません。でも、日本人にしかできない味わいがあるかもしれません。

より速くを目指して、セールを操作を行う。勝つ為では無く、そこに夢中になると神経が集中し、研ぎ澄まされる。その集中した心に、ふっと訪れる味わい。理屈を超えた味わい、日本人にしか解らないかもしれません。見える物では無く、見えないもの、感じるもの、そこに日本人の味わいがあり、日本人的カッコ良さ、粋がある。特別な事は何も無いのに、良いセーリングだったと思う事がある。それは昔から言われる一如の世界かもしれません。自分が自然の中で溶け込んでひとつの世界になる。究極的な味わいはこれかもしれません。

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