第九十話 セーリング派

ヨットは昔からクルージングかレースかの二つしかなかった。レースはしないと言うと、即クルージングというジャンルに入れられる。そして、レーサーはどんどん進化していき、またクルージング艇もどんどん進化していきます。両方が進化するにつれ、この二つの距離は離れていきます。レースはしないならクルージングという具合で、クルージング艇の進化は居住性が強調されていきます。ですから、セーリングについては無視するわけではありませんが、レーサーとの反対方向に行ってしまう。

レースをしないけれども、純粋にセーリングそのものを味わいたいと考えて、何が悪いだろう。クルージング派がセーリングを楽しんで何が悪いでしょう。スムースなセーリングを、スピードを求めて、そういうセーリングの快を求める事は、ヨットをやろうとする人にとって自然な事でもあると思います。ただ、他との競争をしないというだけであります。誰でも、快走を体験しますと、とっても良い気分になれます。日常では味わえない爽快さがあります。エンジンの騒音も無く、風と波の音だけで、快走する姿は何とも言えません。普通に考えて、セーリングはみんなのものである。ここにあるのは比較したうえでの良い気分では無く、絶対的な良い気分なのです。

それで、ある人がちょっと帆走性能の良いヨットを手に入れ、ああでも無い、こうでも無い、こうしたら、ああしたら、いろいろやってセーリングを求める。今日のセーリングは気分が良かった、今日はうまくいかなかったがどうしてか、こんな時はどうしたら、もっとスムースに走れるか、そんな事を考え遊ぶ時、その範囲はヨット全体に及ぶ。何も、レーサーのようにしたいわけじゃない。ただ、もっと気持ち良く、もっと滑らかに、もっとスムースに、自由自在に走れたら、どんなにか気持ち良い事だろう、と考える。

こうなるとクルージング派でも無く、レース派でも無い。セーリング派と言っておきましょう。セーリング派にとって、求めるは気持ちの良いセーリングです。誰かよりも速いかどうかが問題では無く、自分にとって良い気分かどうかが重要です。人より速かろうが、遅かろうが、気分が良ければ良いわけです。

良い気分というのは、誰にとっても重要で、それをクルージングに求めるか、レースに求めるか、或いはセーリングに求めるかの違いです。前者二つはこれまでに追求されてきました。それで、これから求めたいのは、三番目のセーリングについてです。居住性を追及するわけでも無く、レースのレーティングなんかはどうでも良く、ただ、操作性が良く、帆走性能が良く、シングルでも簡単で、レスポンスも良く、セーリングそのものをいろいろやって遊べるヨット、こういう乗り方があっても良いし、増えてほしいと思います。自分でいろいろ考えて、マストのチューニングまでしたくなる。それでも何もレースに出て、人より速く走りたいと思うわけでも無く、ただ自分なりのグッドフィーリングを求める。そんな乗り方もあって良いと思います。

ただ、その為に大変な苦労やたくさんのクルーが必要ならいけませんが、ひとりでも簡単に操作できるというのがミソです。簡単操作でありながら、良く走る。楽に快走を楽しめる。それが今日のデイセーラーの提案であると思います。クルージング派にも、もっとセーリングを、という願いかと思います。こういうヨットでは遠方への旅は無理もあるでしょう。ですから、誰にでもというわけには行きませんが、少なくとも、もっとそういうセーリングを主体にした遊び方を求めるのも悪く無い。それどころか、相当面白いと思うのですが。

ただ、これは結構難しい面もあります。マンネリに陥りやすい。そういう面も確かにあるでしょう。ですから、自分でセーリングを相当意識していなければならないかもしれません。軸になるのは、自分のフィーリングです。この曖昧さが、なかなか入りにくい要因かもしれません。でも、ひとたび意識できますと、これは相当面白い事に気付かれるのではないかと思う次第です。ただひたすらセーリングの快を求め遊ぶ。セーリング派の薦めです。

遊びというのは、自分の気分が良いかどうかでしょう。単純に良い悪いでは無く、どんなフィーリングを得たかでしょう。遊んで、得点しても、何も無い。あるのはどんな感じを得たかです。遊びにおいて、良い気分を味わえたなら、それが最高です。良い気分、このシンプルな言葉の中には膨大なバリエーションが含まれます。ただ、セーリングするだけなら、風任せの良い気分、そこに自分の操作を意識して加える事もできますし、ちょっとした操作で、わずかな変化があり、そのわずかな変化であっても、そこに気付くと良い気分になれる事もあります。人の気分は実に繊細で、ほんのわずかな事でもがらりと変わる事があります。

セーリング派は膨大にあるいろんな気分を、いかに味わうかをセーリングを通して遊ぶ。時には、何もせずに、漂うだけでも癒される事もある。いろいろある。快走だけが良い気分とは限りません。人は複雑な気分を持っています。その日の気分に合わせて走る事もある。そんな事をいろいろ考え、時には無心に、そうやって行きますと、いつかは手足の如く、ヨットを操作できるようになるのではないか?もし、そうできるようになったら、どんな気分になるでしょうか?どうなったら、手足の如くと思うようになるのか?そうなる時が来るのか?解りませんが、楽に操作して、楽に動かし、良い気分を味わい、舵が自分の手の延長のように、舵を通して伝わる感触、そんなセーリングが夢であり、あこがれです。

これは何かを習得して一変に達する事では無く、徐々に、積み上げていく事によって近づく。ゴールはあるようで無く、そのプロセスにおいて、良い気分がつくられるのではないかと思います。ゴールが求められるのでは無く、プロセスが楽しい。プロセスにおけるいろんな気分、それを味わいながら、積み重ねる。そして何年も経って、全てを総合しますと、きっととってもいい気分になると思います。最後は、味わいの多きこそが良い気分なのではないか。

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