第二十三話 カッコ良さで走る



何はともあれ、美しいとかカッコ良いとか、それだけでも充分価値のある事ではないかと思います。
場合によっては、多少の不合理があったとしても、それでも尚、美しさを優先する場合さえあります。それだけ人の美しさへのあこがれは強いものかと思います。

それで、大抵、美しいのは性能の面でも高いというのが相場、遊びというのは気分を盛り立てる事、それには美しさは大きく寄与します。

人の感覚というのは、結構本質を見抜く力があります。ヨットが持つ基本的な能力はセーリングする事だと思いますが、美しさを感じるヨットというのは、その基本であるセーリングにおいても高い能力を持つと思います。但し、人間が必要とする機能的な面は人間の都合であり、よって、頭がつかえないように天井を高くし、より広さを取る為に幅を広くし、云々。つまり、美しさを阻害するかもしれません。

ヨットが完全な遊びである限り、美しさにこだわって、その高い帆走性能にこだわっても良いのではないかと思います。それはデイセーラーのこだわりという事になると思います。このヨットで日本一周しようと思うわけでは無く、何人寝れるかバースをカウントするわけでも無く、どんなセーリングができるのだろう、どんなフィーリングをもたらしてくれるのだろう、それがデイセーラーかと思います。

そんな考え方もあっても良いのではないでしょうか?昔と違って、もっと都会的センスのカッコ良さで、セーリングを楽しむというやり方です。扱いやすくて、気軽で、速くて....もちろん、美しさには、それぞれ異なる場合もあります。ですから、自分の価値観で美しいと感じるヨット、それは多分自分の感性にフィットしたヨットではないかと思います。遊びですから、本当はこのあたりは最も重要な事かもしれません。ある人は外洋艇の中に美しさを感じ、ある人はデイセーラーに、またある人はレーサーに美しさを感じる。美しさから入って行っても良いような気がします。

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