第六十話 押入れの肥やし

振り返ってみれば、子供の頃からいろんな事に興味をもって挑戦してきたものの、多くは押入れの肥やしになってきました。今から思えば、もっとあれやっときゃ良かった。そうしたら、今頃どんなに楽しいだろうか、とか思う事があります。でも、過ぎたるは何とかで、今更、昔に戻ることはできません。ならば、今できる事は何か、となりますと、今興味ある事を今度は投げ出さないで、続けるという事になる。そうすれば、何年か後に、やってて良かったときっと思うだろう。

遊びでも、何でも、何かひとつに長けた人が羨ましかった。自分が何かひとつできるという自信は、他の面においても余裕を感じさせる。それは技術的なものでも、知識でも良い。そういう風に思ってきた。自分が楽しめる程にまで上手になるという事はとってもいい感じなのです。別に自慢したいわけでも無く、ただ、何かが得意であるというのは良い感じなのです。

今や、それが仕事に関する事でなくて良い。遊びで良い。ある飲み屋さんでの事。何でも無い中年のおっさんが、そこのお客さんなのですが、突然お店のピアノを弾きだした。もちろん、プロのレベルではないが実に格好良さを感じましたね。本人もまんざらでは無かったはずです。そういう意外性があると、余計に格好良さを感じます。

そのひとつとして、セーリングに長けるというのも悪く無い。世の中にヨット持ってる人は非常に少ない。だからこそ価値がある。そのヨットがどんなヨットであろうが、豊富な知識と、操船技術を持っているという意外性は実に格好良いわけです。もう押入れの肥やしを増やすのはやめにしよう。

ヨットを家族の為にと願うのも良いとは思いますが、こうやって自分の趣味として、何かを習得して、楽しむ。こういうのも多いにありかなと思います。今更、この年になって自信をつけるとかそういう意味では無く、習得した楽しみを味わうというのは、お金で買えない自分だけの楽しみでありまして、そういうのがひとつでもあると、格段に違う楽しさが人生を潤すことになると思う次第です。しかも、ヨットに乗れるなんてそうざらには居ないわけです。マリーナに行けばうじゃうじゃ居ますが、世間では極めて珍しい存在です。それだけで格好良いわけです。

ある人はギター弾ける。ある人はピアノが弾ける。またある人はスキーが趣味で、陶芸が趣味で油絵が趣味で、そしてセーリングが趣味。ひとりで出て自由にセーリングを楽しむ事ができる。誰かヨット経験の無い友人を乗せても、余裕でセーリングができる。そういう状態にある自分はとっても楽しいだろうと思います。

人はお金持ちにあこがれますが、同時に何かができる人にもあこがれる。ですからプロの技術を見る事は面白い。自分には無いすごい技を見たくなる。習得するという事はなかなかできないが、それだけにできる人はすごいのです。全ての人は、それが何であれ、何かを自分が楽しめる程度にまで習得した方が良い。それが趣味。そういうのは潤いになるし、面白くなる。マリーナにうじゃうじゃいるヨットマンの中でうまい方かどうかは関係無い。自分が楽しめるレベルというのが必要でしょう。自分がセーリングして楽しければ良いわけです。

レースに出て、負けようが、どこか遠くに行った事無くても、自分が楽しめて、そして友人にも楽しませてあげれるなら充分でしょう。そう思って、ヨットを始めませんか?だいたい三日も練習すれば、一応出て帰ってくるぐらいはできるようになる。後は自分次第ですが。趣味は?と聞かれたら、自信を持ってセーリングと答えましょう。初心者歓迎です。

だいたい、どこのマリーナも閉鎖的で、マリーナ関係者以外は入りづらいらしい。もっとオープンに、いろんな人がマリーナに来れて、新しい人達がヨットを始めたいと思うようにならないか、と思います。オーナー同士が相手を見てもどうってこと無いわけですが、素人から見たら、ヨットマンはみんな格好良いわけです。すごいんです。そして日本にはそのヨットマンは極めて少ないのです。

この文章を読む方には、これから始めようという方はあまり居ないだろうと思いますが、是非、初心者の人がひとりでも多くセーリングを趣味にされる事を願っています。面白いし、格好良いし、まあ、楽器のように、どこでも聴かせてあげるなんて事はできませんが、でも、極めて少ない貴重な存在であります。その格好良さを維持する為には、多少の練習は必要ですが、それは楽器よりも遥に簡単です。自分が楽しめる程度、友人を乗せられる程度なら、そんなに難しい事ではありません。そして、そういうレベルになったら、実に人生の潤いになるだろうと思います。

ひとつひとつの操作を、いかにうまく操船するか、そんな事よりも、自分がそれによって楽しめるという人生に追加された、特別な技術、それを習得している事が大事なんだろうと思います。前に習得感と書いた事がありますが、それを持っている事自体が、特別な何かを感じる事になるだろうと思います。ヨット界に居たら、その内側から見ると何でも無い。うまくなる事、どこかに旅をする事、そういう事ばかりに捉われる。しかし、考えてみれば、そういう人達は世間では稀な存在。もっと広く見るなら、外側から見るなら、あこがれの存在でもある。そう思うと、セーリングが趣味と言える事は実に愉快なのではないでしょうか。

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