第十五話 ヨットを所有する

何かを所有するという事は、それを守らなければなりません。家にしても、車にしても、何かの道具だとしても、所有の喜びと同時に負担もかかってきます。それが負担と思うか、喜びと思うかは大きな違いであります。特に、ヨットなんていう代物は、毎日使うわけでも無いし、置いておくだけでお金がかかり、気持ち良く乗るにはメインテナンスもかかります。それが厄介だと感じるなら、やめた方が良い。でも、何も持たずにという事は有り得ないので、何がしかの物は所有する事になり、その所有には何がしかの負担はつきものです。

気に入った物を所有する時、負担は負担とは思わなくなります。物欲だけではそうはいきません。最初は物欲でも、次のステップはその物を愛するようになる。愛するものには、愛情をかけます。つまり、ヨットは大きな物であり、負担も大きく、そう簡単に所有する事はできませんから、一瞬の物欲だけでは、長くキープする事はできない。その負担を超える程に、そのヨットを、或いは、そのヨットで味わえる感覚を愛する事ができなければなりません。それを気に入れば、誰もほったらかしにはしなくなります。乗らないでも見るだけでも行きたくなる。気にもなる。

姿、形を気に入って、そのヨットが創り出すフィーリングをできるだけ多く味わって、自分とヨットで、
もっと何かを創造していく必要があるのかもしれません。それさえ掴めば、そこから面白さを創造する事ができる。このヨットで何ができるか?そして何を創造していくか?長い年月を遊ぶには、何かの創造が必要になると思います。例え、キャビンで別荘代わりだとしても、そこにはオーナーの創造が無ければ、長い年月を気持ち良く遊ぶ事は難しい。

こういう時はどうしたら良いのか?もっとこうならないか?ヨットもオーナーも進化していく必要があるのかもしれません。ヨットは完璧では無い。人間も完璧ではありません。従って、そこに共同で進化していく何かを創造する。それが最も面白い遊びになる。
そういう創造的遊びには、いろんな恩恵があるように思います。損得勘定無しで居られる時、最も癒される。自分自身のままで居られるからだと思います。しかも、それが面白いなら最高です。夢中になって何かに打ち込める時程、人は幸福感を感じられる時は他に無いのではないかと思います。ヨットは長いスパンで行う遊びとして、そういう事が必要だろうと思います。

創造力を増幅させるのは、良い時と悪い時の両方があってこそ、いかにを考えます。いかにを考える為には、自分と行為が感覚的に合っている事が必要でしょう。所謂、好きだという感覚です。行為を頑張らない感覚、端から見れば頑張っているように見えて、自分ではちっともそんな感覚は無い。つまりは、頑張ってやるものではないという事になります。それが感覚的に合っているという事です。

つまりは、努力も頑張りも不要、ただ、夢中になれるフィット感があるかないか。でも、簡単に結論を出すのは早計ですから、感覚的に気に入ったヨットで、いろいろやってみる事が必要で、意外に自分の知らない面白さを感じるかもしれません。それは自分の中に眠っていた、面白い感覚が引き出された時。勝つ為とか、損得とか、見栄とか、何も無くなった時、そこに面白さが残れば、多分、夢中になれるフィット感がある。

所有するというのは、このフィット感を確認する為。他人のヨットでは解らない。所有して、その負担を負って、はじめて解る事かもしれません。

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