第三十話 遊びの達人

ヨットは遊び、という事はヨットの達人になるよりも、遊びの達人になった方が良い。その方が楽しめるからです。要は面白いかどうかが主ですから。ヨットがうまくなりたいと思います。何故なら、その方が面白いと思うからです。でも、うまくなる事と同時に面白さという感覚も意識した方が良いと思います。例えば、うまくなる為に、苦労して、つらい目に会って、それでも、うまくなればその時は自由自在で面白くなるに違い無いと思うのはナンセンスではないか?

うまくはなりたい。でも、今やる事が面白いかどうか?これが重要なのではないでしょうか?面白ささえあれば、多少つらい事も、受け取り方は違う。そこで、面白さはどこにあるのか?と考えます。
セーリングして、良い風吹いて、という面白さが生まれる条件を考えます。そこに至ると誰でも面白いと感じる理想的な状況です。でも、実際は、そんな好条件はあまり多くは無い。

好条件だけが面白いのなら、殆どのケースは面白く無い事になります。それでは、ヨットなんかやってられません。好条件が揃う方が珍しい。珍しいからこそ、面白さも増幅されはしますが。でも、日常のセーリングにおいて、めったに無い好条件は、あまり楽しめるもんでは無いと思います。

それで、遊びの達人はおそらく、今ある状況をいかに遊ぶ事ができるか、どんな状況であれ、面白いという条件が、理想的な好条件の時だけでは無く、いろんな面白さがたくさんある。そして、いつも、今ある状況をいかに遊ぶかを自然にできるようになってるのではないかと思います。その面白さをたくさん見つけられる遊びの達人は、いつも面白い。つまらないと思われている事にも、もし、少しでも面白さが見つけられるなら、その方が幸せであります。

それで、前話の出入港にしても、キャビンで過ごすにしても、セーリングはもちろん、掃除やメインテナンスにしても、どこかに面白さは無いか、はなっから面白く無いと決め付けずに、決め付けは偏見ですから、偏見を持たずに、いろいろやってみる事、面白さを意識する事、そういう事の達人になった方が、良いのではないかと思います。ヨットはうまくなると面白くなります。しかし、それだけでは条件がついてくる。それで、遊びにうまくなる事が第一で、いろんな事が面白くなると、腕の方も必然としてついてくる。

という事で、いろんな事をうまくなろうとせずに、面白くしよう、面白さを見つけようとするのが、遊びの達人になる方法かと思います。

のぼりで走って、セーリングを楽しんできた方も、帰りがダウンウィンドになると、風が弱まり面白く無いので、エンジンをかけて帰る。そういう事もあると思いますが、そこで、遊びの達人は何か、そんな状況でも面白さを発見する、面白さを創る。エンジン駆けて帰る時にでさえも、何かどこかに面白さを見出すかもしれませんし、敢えて、エンジン駆けないでも、どこかに面白さを見出す。それができれば、面白さは何倍にもなる。そういう事ができる人は、ヨットに限らず、いろんな場面でも同じようにできるのかもしれません。それができれば出来るほどに達人のレベルは上がる。

なる程、達人レベルになったら、どんな状況でも、何らかの楽しみを見出す事ができる。風が強すぎて、出れない時でも、ぱっと頭を切り替えて、キャビンで過ごす方法を考える。コクピットでの過ごし方を考える。こういう条件の時だけが楽しいという事でもない。漫画家の赤塚不二夫さんの生み出した言葉に”これで良いのだ!”というのがありましたが、名言かと思います。いつも、これで良いのだ。

そこで、結論、セーリングの達人になるよりも、遊びの達人になろう。いつも、これで良いのだ!

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