第五十五話 選択の自由

今日は何をしようか?仕事でも遊びでも、毎日、何かを選択します。何かを考え出し、それを実行しようとしますが、なかなかうまくは行かない。そこに偶然の何かが起こり、計画にちょっかいを出してきます。しかし、その計画自体も、何らかの偶然から思いつくのではないでしょうか?

つまり、偶然の何かによって、アイデアを思いつく。それを選択し、実行する間に、また何らかの偶然が起こり、それを選ぶかどうかは自由。何とも頼りなさを感じますが、我々は何かを造り出しているようで、実は、偶然がもたらす何かを選択しているだけではないか、そしてそこに選択の自由がある事によって、変化していくだけ。選ぶか選ばないかがポイントなのかもしれません。

私はセーリングをもっととクルージング派の方々にお奨めします。それをたまたま聞いた方にとっては、偶然に聞いた事になります。その偶然を選ぶか選ばないかによって、その後のヨットに対する考え方や使い方が変わるかもしれません。では、自分にとって正しい選択は何か?という問いが出てきます。いつも、選択をせまられる我々にとって、最も大事な問いでしょう。

そこで、是非提案したいのが、勘であります。これもまた頼りないようですが、実は、この勘が最も自分に合う選択をするのではないかと思う次第です。頭で考えますと、理屈はこうだという事がありますが、頭が完璧であるなら、それが正しいになります。しかし、理屈はこうなのだけれど、でも、何となく感じ的に違和感を感じる事があります。そういう時、だいたいうまくは行かないような気がします。

セーリング中には、ただ速さやトリミングや、いかに効率良くしたら良いかを考えますが、同時に、自分が何を感じているかのフィーリングを意識すると言ってきました。それが自然に癖になると、常日頃でも、同じように、何をするか、しているか、と同時に、今何を感じているかを意識するようになります。それが普通になった時、何かの偶然が起こり、常に偶然が起こりますが、その偶然に対して、どういう選択をするか、自分に合うか合わないかが感じとして、感じ取れるような気がします。
そう考えますと、選択するにあたって、昔ほど、悩む事が無くなりました。

各人に起こる偶然は、それぞれです。右を歩くか、左を歩くかは自由。その自由の選択に対して、起こる次の偶然もそれぞれ、こうやって、我々は選択を繰り返して、その結果を味わうわけですが、こういう時、最も頼りになるのが、感じ、ではないかと最近は感じています。その感じは正解かどうか?でも、少なくとも、自分には合っている。この時点では。少なくとも、理屈では無い。そういう風に感じてきています。これもセーリングから得たひとつ。理屈と感じがピッタリ合えば、最高かもしれませんが、頭と勘のどっちかだと、勘の方が正しいような気がします。少なくとも、自分にとっては。

という事で、我々には選択の自由があります。それをいかに実行していくかが、我々を左右する事になります。もし、デイセーリングと聞いて、頭脳が動いて、ああでも無い、こうでも無いと考えるより、どんな感じを得ているかを探って、それに従うのが良いように思います。結局、そうなりますと頭は使わない方が良いという事になりますね。でも、それが自分らしい選択かもしれません。頭は選択後に、いかに実行していくかを考える為に使う。という事は勘はコンパスの役目、舵は自由な選択、頭脳はセールトリミングをすれば、全てがうまく行く?

何を言ってるんでしょうか?でも、少なくとも、セーリング中に、感じを意識するようになって、明らかに選択においては、少しづつ楽になってきているように思います。自分の感じが解ってくる。是非、セーリング中の感じを意識して見てください。

遊びですから、良い感じを求めます。それはそれで良い。でも、どんな感じであろうと、そのどんな感じを得ているかを意識する事が重要かと思います。日頃、意識していないと、案外、自分でも解らないものです。その感じた事が自分自身なのだと思います。ここにもセーリングのマジックがある。セーリングというのは、そういう事がしやすい感じがしますね。陸上世界と切り離されるからでしょうね。

すると、偶然に起こる事柄に、もっと注意が必要になります。大事なサインがあらわれるかもしれません。かと言って、頭を働かせていたのでは見つからない。感じに常に注意を、というところでしょうか。もちろん、常に勘が働くわけではありませんが、多分、もっともっと感じに意識を置けば、もっと解るようになるのではないか、と思います。勘というより、感かもしれません。

人間は考える葦であるとか、しかし、感じる事は考える事と同じぐらい重要な要素ではないかと思います。世の中は頭が良い人が尊敬されますが、勘が良い人というのも侮れない。勘というのは、出鱈目でも何でも無く、自分の感じから湧き起こる選択ではないかと思う次第です。

遊びは感性の世界、何も考えずに、感じたままを大切にするのが、最も自分にとって正解なのだと思います。間違った選択をしますと、違和感を感じる。それも、正解への道程だと思えば、間違いは無い事にはなりますが、何も回り道をする必要も無いと思います。

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