第七十八話 格差

最近まで、これほどこの言葉が言われる時は無かったような気がします。経済格差がその主たる意味かと思いますが、世の中が何かを求めている時、経済的な豊かさであれば、ゆくゆくは格差が生まれるのは必然かもしれません。何かを求めれば、先々ではそこに差が生まれてくる。経済においては、労働分配率とかの手法によって、是正する事は可能かもしれませんが、格差は他にも見られます。

ヨット界では、頻繁にヨットで遊ぶ人達と、めったにマリーナに来ない人達との格差は大きい。中間層が少ない。何故、そうなるのか?これは多分、経済でも一緒で、求めてヨット界に入ったものの、そこに面白さを見出した方はどんどんやるし、今一、魅力に達し得なかった方々は、徐々に足が遠のくようになると思います。仕事の関係、時間の問題も確かにあるでしょう。しかし、もし、魅力が大きければ、時間は何とかしようという気になるでしょう。魅力あるものができないのは大きなストレスになるからです。

人はいつも、誰でも、したい事をしていると思います。ヨットをしたいが、時間が無い。と言いましても、何かをしているわけで、その場合仕事とか、そういう事をヨットよりも優先しているわけです。それが悪いわけでも無いのですが、優先しているという事実があり、それもしたいようにしているわけでだと思います。仕事もせずに遊んでばかりはいられませんが、それでも、魅力を感じた方は、何とか少しでも多く、どうにかしようと思うものです。そこに差が生まれるのではないでしょうか?

先日、アメリカ人で半年に94回乗った方の話を紹介いたしました。日本でもそういう方がおられます。ある方は、半年ぐらい前に初めてヨットに乗り始めて、これまでに50回ぐらい乗ったそうです。また、ある人は、1年半の間に95回乗ったそうです。このお二人に共通する点は、どちらもセーリングをしているという事です。そして、話を聞きますと、兎に角セーリング自体が、知れば知る程、深いし、面白いと言われます。ここに面白さを発見した人達は、やらずにはおれない。ヨット界の格差は、どれだけ面白さを発見したかによるのだろうと思います。決して時間の問題では無いと思います。

そして格差の上に居る人達は、下に居る人達(上下の表現は良いか悪いかは別ですが)、上は下を利用する事になります。経済格差の上に居る人は、派遣社員や下請けを調整弁のように使い、ヨット界では、楽しんでいる人達は、多くの楽しんでいない人達がマリーナに係留だけして、お金を支払ってくれるから、マリーナが存続でき、楽しむ事ができる。それに海も混雑する事も無い。格差社会では、常に下が支え、上が楽しむ。そう思うと、楽しんでいない人には感謝しなければなりませんが、下支えしている方から見ますと、悔しくもある。

そこで、何とかもっと多くの方々が楽しめる方法は無いのか?と考えた結果がデイセーリングであります。デイセーリングはデイセーラーで無くても、今あるヨットで誰でもできる。デイセーリングする時間さえ作れないなら、諦めた方が良いかもしれません。 忙しい方でも、休みが全く無い、家に居るのは寝る時と食事する時だけというのなら別ですが、近頃は残業をしない風になってきていますから、まとめた長期休暇は難しいにしても、ちょっとぐらいなら暇を見つける事は難しくは無いと思います。そういうちょっとした合間に乗れるのが、デイセーリングです。

いまいち楽しんでおられない方は何故そうなるのか?きっと、今のスタイルが合っていないのだろうと思います。大きすぎるヨットは、気軽に出す事を躊躇させるかもしれません。短時間においては、そういう大きなヨットを出そうという気にもならないかもしれません。クルーが都合の悪い時は出せないかもしれません。
いろんな理由があると思います。今一度、自分のスタイルとヨットの使い方について、検討した方が良いかもしれません。何を、どんな具合に楽しみたいのか?今できる楽しみ方は何か?将来はあまり重要では無い。今できる事の方が重要かと思います。先の事は、その時にすれば良いわけですから。

あれもしたい、これもしたいというものがあるものです。それで、あれも、これもとヨットの装備を考えたりしますが、でも、ヨットというのは完全には行かないもので、どこかに妥協をしなければなりません。人は考える時は、いろんな対策を講じるものですが、現実になりますと、多くは役にたっていない事が多い。もしこういうケースの場合は、と考えたら、あれもこれも必要に思えるものです。でも、それが足かせになる事も多い。ですから、自分のしたい事に優先順位をつけて、何を最も得たいのかを明確にすればする程、焦点が絞られて、船も、その艤装も、明確になります。すると、自分のスタイルにピッタリ合って、存分に楽しむ事ができるようになる。ヨットにおける格差は、この焦点をどこまで絞れるかにかかってくるのかもしれません。

焦点を絞れば絞るほど、ある装備が必要なのか、そうで無いかは、明確に解ります。その焦点において必要と思えば取り入れ、必要ない場合、或いはあっても良いかもという場合、設置するのが、その焦点の邪魔にならなければ、予算として考えても良い。でも、焦点が絞られると、できるだけ焦点に合わせて、シンプルにしたくなります。その方が、存分に遊べますし、その他の事はあまり気にならなくなる。その証拠に、豊富な装備で、何でも来いというヨットの方が、動いてい無いように思います。焦点が絞られないので、何でもかんでもつけて、できるだけオールマイティーにしようと思うからではないでしょうか?

端から見ますと、これだけ何でもあるのなら、それこそ何でもできる。どこへでも行けると思います。そう見えます。クルージング、別荘、セーリング、何でも来いです。でも、そういうヨットこそ動いていないような気がするのですが?

初めに意識あり、そしてそれに伴ってヨットがあり、装備がある。最初の意識が不確定である為に、幅が広すぎる為に、その後がどんどん曖昧になっていくのではないでしょうか?レース、セーリング、クルージング、ロングクルージング、別荘、最も使いたいコンセプトを一点に絞って、そこを何より優先させる事が大事なのではないかと思います。いろんなコンセプトを混ぜ合わせても、オーナーはひとり。ひとりの人が、できる、否、最もしたい事もひとつ。何でもできるより、これをしたいの方が、はるかに楽しめると思います。

もうひとつ、人間は怠惰なものです。便利と思って設置した物が、それでも、使うのが面倒くさくなる事がある。この前、コクピットを完全に囲うキャンバスを作成しましたが、冬は寒さ対策になる。夏は回りだけはずしてとか考えます。でも、一旦設置したら、はずすのが面倒になり、はずしたら、今度は設置が面倒になる。そういうもんです。多くは、そこに長期に居るので無いかぎり、あまり必要は無い。

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