第八話 セーリングを追及する

ワイワイと賑やかに乗るのもヨットです。セーリングを追及するのもヨットです。好みの問題です。
両方楽しむのも良い。時折混ぜて、ワイワイやって、時には、シングルで乗る時は、セーリングを追及する。メリハリのついたセーリングになります。ワイワイやるのは、誰でもできます。仲間さえ居れば。でも、セーリングを追及するのは、極めて主体的にならざる得ません。でも、その面白さが解れば、求めたくなります。何かをし始めた時、何をするにしても、うまくなりたいと思うものです。食事でも食えれば良いというのと、おいしいというのとは違いますね。セーリングも乗れれば良いから、よりうまくなるというのは、よりおいしいわけです。

おいしさを感じるのは、フィーリングの発展です。腕の発展は、より高度を目指して、より高いフィーリングを得る事になります。勝負で勝つか負けるかでは無く、より高いフィーリングであります。遊びですから、自己満足的に自分で良い感じを感じたら、それでも良いと思います。より遠く、より速くは、物理的な変化ですが、そういう物理的な変化が無くても、心理的変化を目指しても良いかと思います。むしろ、最終的には、何をしようが、心で感じる事が重要かと思います。

長い間乗り続けますと、誰でもうまくなります。何ノットの風で、こういう走り方をして、何ノットのスピードが出た。こういう事は遊びのひとつの目安ですから、おおいに参考にはします。シートを操作したりしながら、変化を見ます。知識を得ながら、操作に加えていきます。そうこうしていますと、操作に慣れてきます。操作は大事で、どんな走り方をしているかも大事で、でも、そのうちどんな感じを得ているかに気付きます。否、気付いていたのですが、もっと意識するようになります。

腕を上げるのが目的で、そういう知識も得、それも面白い。でも、それはあくまで手段で、どんな感じを得られるか、そういう事を最終目的にする。普段、何気なく得ている感覚ですが、それを敢えて意識してみる。つまり、面白いとか辛いとか、楽しいとか、それを意識してみます。今、こんな感じを得ていると意識してみる。そして、より良い感じを得たいが為にうまくなろうというわけです。

だからどうした?と言われそうですが、結局は面白いとか、楽しいとか、それが最終目的ですから、それらは感じるものであり、行動を通して得られるものであり、それをもっと普段より意識するというのは、求めるものでありますから、本来は当然なのではないかと思います。極端な言い方をすれば、速くなくても、気持ち良いなら良いわけです。そして、気持ちは良いか悪いかの両極では無く、その中間にいろんなバリエーションがある事です。

気持ちに重点を置きますと、いろいろありますが、それらの味わいを面白がる事ができるのではないかと思います。良い時だけでは無く、いろんな場面をも面白がる事ができるようになるのではないかと思います。それには、やっぱり下手よりも、少しでも上達した方が可能性は広がる。

是非、しびれるようなセーリングを体験していただきたいと思います。ピンと張り詰めた心地良い緊張感の中で、ピタッと決まったバランスを保ち、無心状態になるような。そんな体験をしますと、勝負なんてどうでも良くなる。

もうひとつ、気持ちに集中していますと、微妙な変化さえも感じられるようになると思います。これも進化していくものです。すると、いろんな事がわかってくる。知識から解る事もあれば、感じから解るものもある。両方大切ですが、最終的にはフィーリングだと思います。セーリングの目的はフィーリングにあると思う次第です。それも、最初は誰でも良い感じを得たいと思いますが、進化しますと、どんな感じが得られるかに変わっていくと思います。良いとか悪いとか、感じはこの二つに限定しますと、あまりにも単純過ぎる。我々は、かなり高度な、繊細な感覚を持ちますから、それを丸々面白がるのが最も充実感をもたらすのではないかと思います。良い悪いだけでは次元が低すぎる。

それにはシングルハンドが最適です。シングルハンドでは誰もが沈黙します。おしゃべりでは感じられない事も、沈黙によって感覚が鋭敏になる。ですから、ときにはシングルハンドで、セーリングを求めてはいかがでしょうか?そして、それにはデイセーラーが最適だ。と、こういう理屈になるわけです。ですから、デイセーラーをやってます。いつも、こんなセーリングをと言うわけではありません。バリエーションのひとつです。中心的にはそれが良いとは思いますが。時にはぼ〜っと、時にはワイワイ、時にはデートセーリング、いろんな遊び方をして良いと思いますが、中心は何か?と意識しておく事は大切ではないかと思います。最も面白いのははどれか?

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