第九十八話 セーリングの時代

セーリングが好きな人?ヨットをやる限り、セーリングが嫌いな人はヨットはやらないと思います。ボートか、陸上の遊びに行く。セーリングをどこまで追求していくかの話では無く、ただ、セーリングが持つ味わいというのは、嫌いな人はい無いのではないでしょうか?ですから、たまにデイセーラーをセーリングが好きな人には良い、という言い方をされる方がおられますが、本当はみんなセーリングは好きなのでは無いかと思っています。

舵を握って、風の力で、セーリングするという感覚、セーリングはそれです。この場合、速いとか遅いとかを言っているわけでも無く、上り角度がどうこうという事では無く、ただ風に吹かれて走るだけです。その感覚が嫌いな人がヨットをしようとするとは思えません。

どういうわけか、ヨットをレースとクルージングの二つに分けてしまいました。レースは勝つ事に専念し、その為にセーリングを追及し、デザインや、セールを求めてきました。一方、クルージングはと言いますと、旅、集い、そういう物を求めてきました。どちらにもセーリングはありますが、手段であって、目的ではありませんでした。

こういう乗り方を散々してきて、そしてこれからは、セーリングを目的にしたらどうか?という時代に入ってきたと思う次第です。ある人はセーリングを深く追求していくでしょうし、またある人は風に吹かれて、走る味わいを求める。セーリングを手段にして、他の何かをいかに遊ぶか?という考え方では無く、ただセーリングそのものが、一体どうなのか?

何も無くても、ただセーリングしているだけで、実に感覚的に面白さを感じる事があります。誰かよりも速いか遅いか、そういう事では無く、ただ気分が良い。滑らかな走りは実にそういう感覚を味合わせてくれます。これは他の何物にも代えがたい。何らかの面白い出来事を回りに探そうとしますと、そうたくさんは無い事に気付きます。でも、内部の感じに注意を払いますと、また違った何かが見えてくる。

走っているのか、走らされているのか、人はある一定条件を満たす時のみ満足感を得るというのでは無く、ただ良い気分というのがあると思います。うまい、へた、速い、遅い、そんな事は一切関係なく、ただ気持ちが良いという時があります。セーリングにはそれがある。

長い間、いろんな事を求めてきました。旅を求め、勝つ事を求めできました。しかし、これからは、これらに加えて、無心でセーリングする気分を求めるという方法もあります。何も無いが、良い気分というのがあります。もちろん、時に速さを求め、スリルを求め、ゆったり感を求めます。でも、純粋にセーリングを楽しんでいますと、何も特別な事は無いが、良い気分というのがあります。何も求めず、ただやってくる気分を味わう。

人の感情は案外単純なところもあって、ブローが来て、それで、ふっと加速感なんかを感じるだけで、おっと思う事があります。風が上がっていって、それでも舵の軽さに、全体のバランスの良さに、いろんなちょっとした事に、気分がふっと変化を感じます。ちょっとセーリングに集中しさえすれば、すぐに誰でも鋭敏な感覚を持てるようになる。まるで自分の感覚を遊んでいるかのようです。そんな時、ご馳走は無くても、勝利の味は無くても、向こうの島に行かなくても、何か気分的な変化を面白いと感じる事があります。ファインプレーは賞賛を受けますが、そういうものとは違う気分があります。これは新しい乗り方かもしれません。さて、今日のセーリングはどんな気分をもたらしてくれるのか?

自分が持つ全ての知識を出して、そのうえでどんな走りになって、その時どんな気分を引き出してくれるのか?多分、人は様々な感情を持っているのでしょうが、何か外界の何かが、それを表面に引っ張り出してくれる。それが無いうちは、その気分を味わう事はできない。しかし、外界にばかり気をとられていると、そのせっかく引っ張り出された気分にも気付かないかもしれません。

セーリングは気分を遊ぶゲームと言えるかもしれません。ただ楽しいとか怖いとか、そういう単純さでは無く、もっと深い気分を遊べるかもしれませんね。セーリングは実に面白い。面白いという言葉も単純すぎるかもしれません。自然に身を任せたセーリング、風も波もこちら側でどうこうはできません。そこに身を任せるしか手立ては無い。それと戦わずに、ただひたすら身を任せてみるという気分はどうでしょう?もちろん、セール調整はするわけですが、あくまで合わせるのであって、乗り越えようという話ではありません。そういう意識を持つと、セーリング気分をじっくり味わえるのではないでしょうか?ただ、セーリングして良い気分。何か特別な出来事を求めるわけでも無く、気分にさえ、集中していれば、そのいろんな気分を楽しむ。

いつも何かを求め続けてきました。もっと、もっとという意欲が発展ともなってきました。しかし、ちょっと立ち止まって、今ある状況がどんな味わいなのか?それをじっくり味わってみるという事も悪い事では無いような気がします。もっと速く走る為に、こうする、ああするも良いのですが、そこそこできたら、その時の味わいに集中してみるというのはどうでしょうか?そこでお弁当広げるのでも良いのですが、感じに集中してみたらどうでしょうか?何か違う乗り方が発見できないでしょうか?

動作の事実、走りの事実、その他に、もっと感覚的なところに重点を置くやり方があっても良いのではないかと思います。セーリングを客観的な数値で見る以外に、感覚で味わう乗り方、それはレースでも無く、クルージングでも無い。味わいのセーリングとでも言いましょうか?このゲームには勝ち負けは無く、旅の達成感も無く、でも、様々なフィーリングだけがある。そんなセーリングも悪く無いと思います。ある好条件下のみで面白いとか楽しいとかでは限定されてしまいますが、できるだけ多くの、いろんな感じを、その時なりに味わう事を意識したら、もっと気楽に、もっといろんな場面を楽しめるのではないか?スピードが目的では無く、旅が目的では無く、味わう事が目的。そういうのも有ではないかと思うのですが?

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