第三十九話 ゆっくり、のんびり  

張りきって走るヨットも良いですが、のんびり、ゆったりも良いもんです。今日は、夕方のわずかな時間、ゆったり、のんびりでした。秋のサンセットセーリング。暑くも無く、寒くも無く、風もあまり無く、でも爽やかな空気でありました。

こんなセーリングをすぐに出来るというのも良いものです。スポーツセーリングもエキサイティングで良いのですが、こんな爽やかセーリングも良いものです。心がぐっとなごみます。その為にも、もっと、もっと気軽に、気楽に、そういう気持ちを心がけたいものです。

それには、何の目的も持たない。そういう事も良いようです。どこかに行くなら、何時に着くか?と気になります。本気で走るなら、スピードが気になる。それらは、それで、目的を持って、そこに突っ走るのも面白さがあると思います。でも、それだけでは無く、実にゆったりした時間を持つというのも、実に心が落ち着きますね。そういう楽しみ方も味わいたいものです。目的を一切持たないセーリング。ただ、のんびり、思うまま、感じるままです。

これはセーリングならではの事。自然任せのヨットだからでしょう。モーターボートだったら、きっとエンジンコントロールですから、こんなにのんびり走る事は無いでしょう。スピードを自由にコントロールできるのなら、きっとスロットルを上げるはずです。でも、ヨットはそうは行きません。風が弱いなら、ゆっくりしか走れない。これは悪い事?

自然任せだからこそ、そういう時は諦める。諦めるからこそ、あせる事も無く、自然任せにする事ができます。だからこそ、心からのんびりできます。これがボートとは違うところです。早く行きたい所に、風が無いではイライラするかもしれません。でも、最後は諦めて、そのあるがままに従うしかない。それがヨットにはあります。諦める事は決して悪い事では無いと思いますね。諦めるからこそ、そのままに受け入れる事ができ、むしろ、それを楽しむ事さえできる。

秋の涼しい季節は、そんな感じも与えてくれます。ボートでは味わえないフィーリングです。全て、何でもコントロールできるというのは、良い事のように思えます。しかし、本当にそうでしょうか?コントロールができるのは、反面、それが何かの理由で思うままにならない時、大きなストレスを感じます。でも、セーリングは、一種の諦めもあります。何しろ、風で走るわけですから。最後は、諦めて、自然に従うしかない。それがまた良い面でもあると思います。

諦めたからこそ、味わえる感じがある。そんな事を感じさせてくれたセーリングでした。短い時間ながら、実に気持ちの良いセーリングでした。エキサイティングだけがセーリングじゃ無い。速いだけが良いわけじゃない。そのままに受け入れようと諦めた時、きっと、落ち着く何かがあるような気がします。

たまには、諦めましょう。どうにかしようと、いつでも努力する事は良い事とされますが、いやいや、そればかりが全てでは無い。諦める事によって、見えてくるものもある。そんな感じです。今日は、いつもシングルでセーリングを楽しんであるオーナーにお邪魔して、短いけれど、良い気持ちを頂きました。

結局、ヨットの面白さは、人工的に全てはコントロールできないところにあるのかもしれません。どんなに高性能であっても、スーパーヨットであっても、自然という枠を超える事はできません。我々の文明はそれをしようとする行為です。でも、セーリングだけは、そうはいきません。最大限の利用をしようとは思っても、やっぱり最後は自然の中。それをどう思うかですが、思うままにならない事を受け入れる時、諦める時、不思議と平和な気分になれる。これもセーリングの良さではないかと思った次第です。これだって、デイセーラーで、気楽に出れる恩恵なのだとも思いますね。時には諦めてみましょう。

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