第四十八話 ピクニック&セーリング

ピクニックは長い旅とは違って、気楽な遊びです。それを日常の遊びとして、気軽にできるようにしておきましょう。日常に何かを気楽に楽しめるようにセットしておく事は、いつか長い旅をするにしても、レースをするにしても、きっと役に立つと思います。

遠くへ旅を計画するにしても、それがいつかなら、大事な事は日常にどうやって遊んでいるかになると思います。その日常で、いろんな事が培われる事になります。基本は日常です。日々の仕事や用事の合間に、どんな遊び方ができるか?そこを面白く演出しておかなければ、遠い旅はさらに遠くなる。

そういう意味で、どんなヨットを持っていようが、日常のピクニックセーリング、デイセーリングは非常に重要なのだろうと思います。ピクニックとデイセーリングを分けたのは、ピクニックはその名の通り、誰かを誘って、或いはシングルでも、ゆったりとしたセーリングを楽しみます。雰囲気を楽しむ、気分を楽しむ、お弁当を楽しむ。船上での音楽を楽しむ。会話を楽しむ。季節を楽しむ。

そして、別な機会には、セーリングを楽しむ。スポーツとして、自分の知識と腕を楽しむ。向上を楽しむ。同じセーリングでも内容はがらりと違ってきます。その両方を、時に応じて、使い分けて楽しむ。このふたつは似て非なるものです。

このふたつを使い分けるだけでも、ヨットを遊ぶには充分な魅力があろうかと思います。このふたつを体に馴染ませる。ヨットを自由自在に操って、一体感を得る。そうなる為には、気軽さが必要です。

日常の生活の中で、ヨットとの馴染み感を持つと、そのヨット遊びが日常生活の中に意味を持って来る。生活にアクセントを与え、潤いをもたらす。セーリングというのは、環境を自分で変える事ができない。故に、環境を受け入れざるを得無い。そういう受動的な部分と、自分の知識と腕で、その環境にどうにか対応しよう、適用しようとする積極的な部分とがあり、その両方を同時に行います。できるだけの事をして、それでも最後は全面的に受け入れる。それが自然で当たり前。

そういう時、ストレスというのが発生してこない。人工的な部分だけならストレスが溜まる事もあります。ストレスは思う通りにならない事。セーリングも思う通りにはなりませんが、相手が自然であるが故に、そのまま受け入れざるを得無い。最後は諦めの境地です。諦めるという事は、案外大切な事かもしれません。

諦めるというのはマイナスなイメージがありますが、でも、いつでも、最後は受け入れざるを得無い事であり、それが自然相手であれば、素直にできる。そこがセーリングの良いところ。諦めというのは、素晴らしい手段でもあると思います。

いつでも諦めるのでは無く、今この瞬間は諦めて受け入れる。でも、次はできる事をする。そしてまた諦める。諦めると、今この瞬間を素直に楽しむ事ができるのではないかと思います。

ヨットをどうやって、いかに効率良く走らせるかは重要な事ですが、それ以上に、いかに受け入れるかも重要なのではないかと思う次第です。今日のセーリングはこうだった。と素直に味わえるなら、何のストレスも発生しない。次回はどうかな?

ヨットが動いている状態を、目で見て、体で感じて、そのトータルの情報が脳に焼き付く。今度はこうしよう、ああしようというのがありますが、でも、その都度の感じている事が生きている事なのかなと思います。何でもうまく行くわけじゃない。良い時もあれば悪い時もある。ああして、こうして、最後は諦めて、完全に受け入れる。これこそが、楽しむコツではないかと思います。

その感じの為に、どんなヨットが良いのか?レースの為なら速いヨットが良い。でも、ピクニックやデイセーリングには、どんな感じが良いのかな?この感じが重要でしょうね。レースじゃないなら、セーリングはフィーリングこそが重要かと思います。

ですから、もっと気楽に、そして自分のフィーリングを大事に、外ばかり見ないで、自分の感じを遊ぶ。多少セールカーブがよろしく無くても、自分の気分を大事に。面倒な事はしないという事では無く、自分の気分を求めましょう。自分の気分の面白さを求めましょう。面白さを求めれば、気分も変わる。体は、気分の為に、気分を支える。

体は疲れても、気分の良いセーリングが出来たら最高です。気分が疲れたら、いけませんね。主役は気分、その為に体を使う。頭も使う。気分の面白さの為に。体に汗かいて、頭脳に汗かいて、でも、気分が良いなら、それにこした事は無い。ヨットはその為にある。自分の気分をもっと意識した方が良いかと思います。

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