第十二話 ヨット社会

我々は日常の社会において生活を営んでいますが、そこには損得があり、問題もあり、ストレスもあります。それで、人は何か非日常的な何かを求め、ストレスを解消したい、安心したい、癒されたいと願い、ヨットなんかやります。でも、単独で、ヨットを楽しむという方法もありますが、いくらシングルで簡単にセーリングが出来るにしても、やはり、何かを求めます。

どこか特定の場所があって、自分のヨットだけが係留され、そのヨットをひとりで走らせる。そんな環境があったとしても、やはり、それだけでは寂しさを感じるかもしれません。シングルハンドが有効なのは、そこにヨット社会があって、そのうえで、ひとりでも出せるという事実が必要なのかもしれません。

そのヨット社会では、職業も関係無く、一般社会での個人の背景は全く関係無く、そこに来たら、誰もが、いちヨットオーナーになる。会社の社長さんも、医者も、サラリーマンも、政治家も、財界の大物であっても、誰もが、そこではヨット社会のメンバーであります。そこに損得は無く、差も無く、あるのは、ヨットとしての共通の趣味だけであります。損得が無い社会ですから、安心です。寛げます。ヨットメンバーになるという事は、ただ、ヨットを持って、セーリングして、クルージングして、それが面白いかどうかという事だけでは無く、その社会で、安心できるか、という事ではないかと思います。

社会ですから、互いのコミュニケーションがあります。それは損得の無い、趣味だけの世界ですから、問題も無いし、ストレスも無いはず。ヨットはたくさんありますが、そういうヨット社会というところにまでは至っていないのが現状ではないかと思います。

前話でクラブハウスの事を書きましたが、マリーナに来て、そこでオーナー同士が、ヨット社会を形成しているメンバーであり、もっとコミュニケーションがとれるような雰囲気があり、一般社会とは違う共通の価値観を共有した者同士であり、もっと何か有意義な社会形成が出来たら良いかな〜と
思ったりもします。

各オーナーは自分のヨットで自分の小さな社会を築きますが、マリーナ全体でも社会を築く。それは、一般社会とは違う性質の社会であります。そこのメンバーである事が、ある種のステータスにもなるような。高級だからでは無く、保管料が安いからでは無く、そこのメンバーである事が、面白さ、楽しさであるような。難しい事を言ってます。

そういう社会があって、マリーナが社会の核であり、その一員でありながら、シングルハンドを楽しむ。ホームポートが我が家となります。我が家が楽しい場であるからこそ、シングルでも楽しめる。
シングルセーリングをしても、帰ってきたら、そこは寛ぎの場でありますから、だからこそ安心なのではないかと思います。マリーナという小さなヨット社会が安心だからこそ、いろんな遊びができる。

世界にはいろんなヨットがあります。それは各個人の好みで選択されるわけですが、でも、その根底には、成熟したヨット社会、安心できるマリーナ社会、そういう土台があるからこそ、自由に、自分の好みだけで選択が可能になるのかもしれません。安心できるマリーナは、成熟したヨット社会を形成し、オーナーを開放し、自由を満喫させる。

安心できるマリーナがあるからこそ、安心できるヨット社会があり、そこのメンバーであるからこそ、自由に遊ぶ事ができるのかもしれません。そういう意味ではマリーナは非常に重要でありますね。
難しい事ではありますが。

仕事をして、週末には、一般社会から抜け出して、ヨット社会に入る。もうそれだけで、安心感と癒しを受けるような。そんなヨット社会があれば?理想ですけど。でも、これは、クラブハウスから出てくるものかもしれません。誰もが、マリーナに行ったら、まずクラブハウスに向かう。そこがこの社会での我が家。そして、ヨットは、冒険の場。我が家が安心だからこそ、冒険を楽しむ事ができる。

戯言であります。

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