第二十一話 美学

なんかカッコイイ言葉ですね。まあ、こだわりですよね。見た目もあれば、乗り方、選び方、あらゆる部分の価値観になりますね。ヨットは遊びですから、それで何かを稼ごうとか、仕事しようとかでは無いわけですから、自分の美学にこだわるというのは、自分の遊びを満足させる要素という事にもなると思います。

一方、便利という魅力ある言葉もあります。これをつければ便利。でも、時に、美的感覚を損なうという場合もある。それをどうするか?便利を取るか、美学を取るか?

まあ、オーナー次第なんですが、でも、ヨットは、美しくあってほしいものです。便利も良いけど、自分の美はできれば譲りたくないという気もします。時にやせ我慢という場合もあるでしょうが、それでも、良いんじゃないでしょうか。

人間は理屈だけで割り切れるものでもありませんし、その理屈では無い、感覚の部分が遊びには大事じゃないかと思います。やせ我慢と言われようが、感覚的な満足感というのも遊びのうちですね。ですから、自分の美には、できるだけこだわった方が、満足感は大きくなるのではないでしょうか。

考えて見ましたら、遊びそのものが、その人の美学と言えるかもしれません。自分で思う楽しい事、面白い事、どういう道具を使って、どうやるか。釣りをする時、わざと、細い糸で大物を釣り上げるというのがありますが、それも美学。

わざと小さなヨットにする。わざと大きなヨットをシングルで乗る。計器を一切つけない。或いは、逆でフル装備にする。それぞれの人にそれぞれの美学があります。

遊びには美学がある。遊び方はその人となりを表す。自分を表現している事になりますね。考えて見ましたら、非常に面白い。あまり興味無いものには、どうでも良いのですが、興味あるものには、何でも良いというわけにはいきませんね。そのこだわり方、美学が遊びなんでしょうね。自己表現ですね。美学は理屈を越えてしまいます。

でも、美学、美学とこだわって、理論を無視しても無理が生じます。理屈を理解したうえで、そのうえで、自分の美学を追及して頂きたいと思います。少しぐらい無理しても良いんでしょうが、無茶はいけませんね。

個人的には、シンプルでも美しいもの、ごてごてしたのは好きではありません。たくさんあるより、良い物が少しの方が好みです。大きいより、ちょっと小さ目でも良い物。派手ではないが、美しく落ち着きのある物。これらは、個人の性格ですから、考えてみたら、通常の生活のありとあらゆる部分に共通した美学があるはずです。

ヨットは好んだ人だけがやる遊びですから、必ず美学が生まれます。自己表現の場でもありますね。そうやって意識して遊んでみる。

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