第二十二話 心はどこに?

いつ、どこで、何をしていようが、心はどこにあるのか?それが最も重要なのではないかと思います。我々はある行為をしながら、別な事を考えているなんて事はしょっちゅうあります。最近のひどいのになりますと、たった今した行為さえ、忘れている事がある。そして、今した行為もきちんとやれていない事もあります。

セーリングをしながら、おしゃべりをする。心の多くは話題に注がれます。すると、セーリングにはあまり心が無い。会話の合間にちょっと気にする程度になります。それはそれで良い。そういうゲストが居る時は、そうなります。それはゲストの接待みたいなもの。セーリングを楽しみながらも、主役はゲストでありますから。

ゲストが居無い時は、セーリングに心を置く事ができます。だからこそ、いろんな感じを味わう事ができます。

重要な事は、今何をしているか?心がどこにあるか?それをきちんとわかっているいる事ではないかと思います。そうでないと、せっかく今セーリングしてきたのに、どうだったのか?ちゃんと味わっていないという事もある。せっかくゲストを招待して、楽しんでもらいたかったはずなのに、心がそこに居なかったせいで、ゲストにとってもいまいちとなるかもしれません。

重要な事は、何をしているかもそうですが、同時に、そこに心が一緒にある事でしょうね。うわの空では、何をしても楽しめない。本を読みながらも、時々、違う事を考えていたり。ちっとも頭に入りません。本の内容も解らないうえに、考えていた事もきちんと整理されない。どっちもダメですね。
ふたつの事を同時にやっているようで、どっちも駄目。ひとつひとつをキチンとやった方がより良いという事になります。

ところが、セーリングになりますと、簡単に集中できます。余計な事を考えない。だから、味わう事ができます。釣り人が、海に浮かぶ浮きをじっと見つめる。何も考えずに、ひたすら神経が集中しています。ピクリと浮きが沈もうなら、ドキッとさえします。だから、面白い。セーリングを楽しむには、心がそこに無いといけません。だからこそ、普通なら見落とすかもしれない事にも、容易に気付きます。

集中するというのは、何も考えないこと。セールを観察して、トリミングして、集中する。考える時は考え、決まったら、もう考えないで集中する。瞬時に切り替わる。考え続けると集中できません。つまり、味わうというのは、考えない事、楽しむというのは、考えない時に味わうものかもしれません。
という事で、できるだけ必要な時以外は考えないという事が重要になりますね。

すべての方に、クルージングの人も、ピクニックの人も、どんな使い方をする人でも、考えないでセーリングに集中する時を、是非、味わって頂きたいと思います。それで、どんな感じがするかも、考えない。

物事を理解する時、頭脳で、言葉を使って、理解を確認します。そうしないと、解ったのかどうか解らない。しかし、言葉で確認する事で理解したのか?或いは、そんな事をしなくても、理解しているのか?ちょっと、疑問ですが、いちいち言葉にする必要は無いのかもしれません。言葉にする事によって、理解どころか、ねじ曲げる事だってある。

そこで、本当に、心から味わうには、心をそこに置いて、何も考えない事ではないか?そうですね、感動するとか、そういう時、いちいちこうで、こうだから感動したとか考えません。それは終わって後で付け足す。その瞬間は考えないものです。感じているだけですね。

ですから、セーリング中は考えないで、感じましょう。考えるより、感じる方が面白いんですから。何で、頭脳を優先してきたんでしょうね?必要な時以外は考えない。考えなければ、心はここにあります。と、あれこれ考えながら書いてきました。?考えていますと、たいしたアイデアは生まれない事に気付く。突拍子も無いアイデアは考えない時に出てくる。良いアイデアはひらめきと言い、ぐだら無いアイデアは思いつき。でも、どっちにしても新しい。考えながら出てくるアイデアは下らないし、新しくもない。

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