第五十一話 バーチャル

パソコンのゲームとか、インターネット上のセカンドライフとか、そういうのが出来て、バーチャルという言葉、仮想の世界が問われるようになりました。しかし、考えてみますと、人間が今この瞬間に感じている事は現実ですが、頭は常に何かを考え、妄想しています。これも、考えてみれば仮想なのではないかな〜。

つまり、現実は五感で感じる事であって、考えるとかは、現実では無く、仮想、つまりは仮の世界であるわけです。その仮りの世界をぐちゃぐちゃ考えて、どうこうしようという事になりますが、現実である感じる世界をもっと知る必要があるのではないか?

そういう事からも、感じるセーリングは、実に意義深いセーリングではないかと思っています。現実を生きていながら、実際はほとんどを頭脳の中の、仮想世界に生きている事が多いのではないか?現実はどうなっているのか? それには、もっと感じる事を重視した方が良いのではないか?
見る物、聴く物、感じる物等々、それが現実であり、それを考える事で、ある種の自分勝手な解釈に変えてしまう。それが通常、常識的であります。

考える前に、感じる事を、そのまま感じて考えない。そういう事ができて、意識できると、何か違う世界、本当の現実の世界が見えてくるかもしれません。考えるセーリングの前に、感じるセーリングをすると、一体どうなるのか? 良いとか、嫌とか、そういう判断をする前に、感じたままにするセーリングはどうなのか?オーバーに言えば、人間のある種の本能的なセンサーが動き出す?

考えると、その感じに対して、自動的に対応をしようとします。前にも書きましたが、スプレーを浴びたら、ドジャーを設置するとかです。それが常識的には正しい対応の仕方ですが、その前に、感じた事で止めておくと、どうなるのか?そこに興味が湧いてきます。

まあ、こんな話が続きましたので、このへんで終わりにします。

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