第十九話 何でもかんでも

何でもかんでも求めると中途半端なヨットになるかもしれません。理想的なクルージング艇であり、理想的なセーリングができるヨットというのは無いわけです。両方を求めると、どちらでも無いという事になる。という事で、どっちを優先するか?

クルージングなら、大きなキャビンで、フル装備、エアコンもテレビもビデオも音楽もほしい。快適な空間で、デッキでの操作はオートマチックでも良いかもしれません。でも、その理想的なヨットは、セーリングにおいては落ちる。でも、クルージングに理想を求めたなら、それでも良い。重くても良い。ハイパワーのエンジンで走れるのが良い。

セーリングなら、軽風でもそこそこ走ってくれる軽い船体、でも、強風でも強い高いスタビリティー、そして、あらゆるストレスに負けない強靭な船体。そういうのが理想です。

この両方を求めますと、中途半端になります。でも、そのコンセプトの中でなら、何でもかんでも求めたい。より快適なクルージングを可能にする為に、何でもかんでも求めます。電動何とか、オート何とか。それで良いと思います。一方、セーリングなら、セーリングをいかに楽しむかという点に焦点を絞って、何でもかんでも求めます。それは、よりクルージングを、よりセーリングを、楽しく、面白くする事になります。

クルージングの焦点は快適性というところでしょうか?セーリングの焦点は面白さはどこにあるかという点になります。快適である事は、面白さとは限りません。逆に、面白いという事が、快適であるとも言えません。エアコンが効いたキャビンは居心地が良い。快適です。でも、面白いかどうかは別です。また、面白いと感じても、それは微妙なバランスを楽しんでいる時かもしれません。緊張感を楽しむ事もできる。それは快適とは関係が無い。

クルージングの楽しさ、面白さは、集いであり、旅にあると思います。という事は、仲間を、家族を招待した方が良いし、旅に出た方が良い。一方、セーリングの楽しさ、面白さはセーリングそのものにあります。ですから、セーリングをします。簡単な理屈であります。その逆を求めますと、不満が出てくる。でも、ちゃんと解っていれば、ストレスを生まない。

何でもかんでも求めますが、その焦点が絞られているなら良い。そのヨットの何を堪能したいかが明確なら良い。どんどん求めた方が良い。でも、その焦点がぼやけていると、求めれば、求める程に、矛盾を生じます。

理想的には、例えば、今日は和食で、明日は洋食、その次は中華とか、いろいろ変えたいわけです。その各食事においしさを求めます。でも、ヨットは、固定された船体というものがある以上、それはできません。いくつものヨットを持つしか方法が無い。しかし、現実はひとつしか持てませんから、つい何でもかんでも求めたくなります。それは、和食と洋食と中華を混ぜたような物。可能かもしれませんが、おいしいとは思えない。

理想的なクルージング艇は、セーリングは最低かもしれません。理想のセーリングヨットはクルージングでは最低かもしれません。でも、その方が、本来の目的においては楽しくなるし、面白くなる。それが解っているから、クルージング艇でセーリングしてもストレスにならないし、セーリングヨットでクルージングしても、楽しく過ごせます。そこを何とかしようとするといけません。

ですから、クルージング艇なら、もちろんドジャーを設置したい。でも、セーリングヨットならドジャーは邪魔です。もちろん、全てを厳密に分ける必要もありませんが。乗るのは所詮我々人間ですから、曖昧な部分も矛盾も多い。でも、それが解ってする事が大事かなと思います。そこを理解せずに、行き当たった不都合に、常に何らかの対応をしていきますと、コンセプトが曖昧になり、どっちを目指しているかが解らなくなるかもしれません。

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