第一話 ヨットの話をしよう

マリーナを出て、セールを展開し、エンジンを切る。エンジンを切った途端に、セーリングという行為に入り、その静けさが、何とも言えません。時に、ただ走っているだけでも、心癒される感じがします。ヨットはスポーツにもなりますし、ただ癒される事もあります。

自然の力というのは、そういうもので、人工的な物にはストレスが溜まる事もありますが、自然の中では、誰もが癒される。それは多分、自然をどうこうとコントロールできないから、完全に受け身になってしまうからではないかと思ったりもします。

ヨット本来の力というのは、このスポーツ性と癒しにあるのではないかと思います。癒しは本当は自然の力ですが、その中に入っていけます。ヨットをスポーツとして見る時でも、自然を相手に調和を試みるわけですが、いろいろ操作をやって、最後は自然に対する完全な受け身ではないかと思います。最後は全てを受け入れる。

ヨットは人工的な物ですが、対峙するのは自然ですから、最後は受け入れなければなりません。誰も、自然に文句は言えませんし、だからこそ、諦めて受け入れる事になります。この諦めは、自然に文句を言っても仕方ないと、誰もが知っている事からくるものと思います。それが、ヨットの完結、だからこそ、セーリングにはストレスフリーの癒しにする事ができる。最後は諦めて受け入れる。これは決して悪い事では無いと思います。

諦めて、受け入れる姿勢は、最後にこれを持っているからこそ、ストレスが溜まらないのではないか?思うように走れなかったとしても、人工的なストレスとは違うものではないかと思います。セーリングはとっても健康的でありますね。

面白いとか楽しいとか、そういう事を超越しています。ただ、黙ってセーリングをすれば、誰もが癒される。

でも、私、俗物ですから、そこにセールがどうこう、スタビリティーがどうこうと考えます。それらが、いかにオーナーの味方になってくれるかと考えます。それはそれで、そういうセーリングを面白がっていいだろうと思います。楽しさも見つけて、いろんな事して良いだろうと思います。でも、やっぱり最後は諦めの境地、そのままを受け入れるという姿勢で完結する。

その自然が、いつも変わるから面白さを得られ、いつも自然は自然の勝手で変わるから、諦めもする。諦めたら、案外、平和です。何が何でもなんてことは無いわけですから。できる事までしたら、諦められるのも、セーリングの良さのひとつではないかと思います。

そんなこんなを経験したら、ヨットと自然に付き合えるのではなかろうか?そんな気がふっと湧いてきます。でかいヨット、キャビンが広いヨット、速いヨット、いろいろありますが、気に入ったヨットで、自然に遊べたら、それこそ楽〜に、遊べるのかな?

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