第十四話 究極 ?

レースには順位という結果がつきまといますが、単独セーリングの場合には、結果がありません。
ただ、過程における味わいの感触が残ります。レースは結果の味わい、単独セーリングはプロセスの味わいという事になります。

その味わいは良いも悪いも含めて、流れるプロセスの味わいの変化です。いろんな状況の中で、どれだけうまく調和できて行けるかのプロセスという事になります。時に、良い風が吹いて、快調な感じを得られますし、時に、無風で、時に強風で、それでも、どれだけ調和して乗りこなせるかになります。どんなに、微風や強風で調和できても、良い風の時程グッドフィーリングになる事はありません。しかし、それがあるからこそ、グッドフィーリングを得た時は際立つ。

究極的には、良い風の時のグッドだけでは無く、その瞬間瞬間での味わいをどれだけ味わえるかという事かもしれません。グッドやバッドの問題では無く、何であっても、その場での味わいをそのまま得て、評価しないという事かもしれません。

ただ、どれだけその時の風に調和できたかという事がテーマになるのかもしれません。どんな風が吹こうが、どれだけ調和できたか?

その為に、体と頭と心をフルに使って、その調和を試みる。そうすると味わいだけが残る。そこが重要なのかもしれません。そうなると、一体感を感じられるようになるかもしれません。そうなると、特定の何かを求める事が無くなるかもしれません。ただ、今日のセーリングはどんなだろうか、という期待では無く、ただ待つ状態?楽しいとか、面白いとかを超えています。

そんな風にセーリングができるようになると、どんなに楽になるかと思いますが、実際は、そうも行きません。でも、時々思い出しては、評価をせずに、ただセーリングをするという事を実践できればと思います。

我々に残るのはフィーリングしか無い。レースで勝っても、勝った時のフィーリングしか残らない。評価をするから、その瞬間はBADになり、GOODになる。本来、その瞬間はどちらでも無いのに。
評価した途端に、味わいはBADやGOODに変わる。GOODだけなら良いが、それは有り得ない。

という事は、究極的には、評価をしないで、ただ味わうのみ。そうすれば、味わいはその味わいのまま残る。それが究極のセーリング?最も楽で、最も味わえるセーリング。果たして、そんな事ができるのか?

セーリングという遊びには、何か役立つ結果を生み出すという事がありません。7ノットで走れば、何か役に立つ事が生まれるわけではありません。どんなであろうが、その瞬間で消えていきます。
生産性は何も無い。でも、何も無いからこそ、そのままの味わいを得易いかもしれません。さらに、何も期待しないでいられると、そのままの味わいを得る事ができるのかもしれません。

我々は、常に評価して、セーリングそのものを味わっていないのかもしれません。何年もセーリングしながら、セーリングを味わっていないのかもしれません。味わっているのは、自分のセーリングに対する評価だけかもしれません。その評価は、絶対では無く、人によっても変わるし、自分のその時の気分でも変わる。

そう考えて行きますと、本当のセーリングの味わいというのは、どんなだろうと気になります。それを味わってみたいと思います。良いも悪いも、上手も下手も、一切関係無く、その時のセーリングそのものを味わう。どうなんでしょうか? 解りませんが、でも、何だか究極的なセーリングじゃないか、という気がします。

こうなりますと、初心者でもすぐに味わえる。セーリングを知る事ができる? ここでひとつ言えるのは、素直にセーリングを見る事ができるようになる事です。多分? そうなると、これも多分、その瞬間瞬間の状況をより的確に見る事ができるのではないか? 余計な事は考えませんから、自然に集中してしまうのではないか? そうすると、100%のセーリングを味わえるかもしれません?
そのうえ、的確な観察と的確な判断と、より的確な行動が取れるようになるかもしれません?
あくまで想像ですが。でも、そんなセーリングができるというのは、どんな感じかな〜?

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