第四十一話 イメージ

世の中を見ますと、いろんな事がイメージで語られます。イメージはわかり易いし、頭にスーっと入って、想像しやすい。しかし、そのイメージが正確なイメージなら良いのですが、多くの場合、良い事だけのイメージが多く、現実になったら、こんなはずでは、と思う事もしばしばあります。

ヨットのイメージ? 青い海、青い空、そよ風、優雅な雰囲気? それだけで入るとこんなはずでは無かったと思うかもしれません。確かに、そういう時もある。でも、多くは無い。むしろ少ない。そういうタイミングに自分の休みと重なるかどうかもあります。

そこで、正しいイメージは、いろいろあるという事です。風が強過ぎたり、弱すぎたり、寒かったり、暑かったり、雨も降ります。当たり前の事です。それらを全部含めてヨットライフとなります。でも、いつ乗っても、青い空、青い海、そよ風というばかりでは、面白くなくなるのも事実です。ですから、いろいろあるから面白いと考える方が、正しいヨットの取り組み方ではないかと思います。

形ある物には限界があります。その限界を応用して臨機応変に対応するのが人間です。人間も体があるので限界がある。そこで、艤装品を利用して臨機応変に対応する。ヨットの場合は、臨機応変に自然に対応するという事になります。

そのヨットも、艤装も万能では無い。だから、組み合わせたりしながら、工夫して対応して、ベターを得る。それが面白さだと思います。それが無ければ、必要無ければ、面白さは減少していくのではないかと思います。そこを遊ぶのがヨットではないかと思います。

ここ最近、ファーリングジェネカーについて、しつこく書いてきました。でも、それとて完璧では無く、まだまだ巻き取り時の工夫も必要です。どんな状態でも、きれいに巻けるという物ではありません。風の方向、風の強さにもよります。無風状態や風が弱くて方向が振れたり、風速も変化したりという時セールに風圧が一定にかからないので、工夫しないときれいに巻けなかったりします。今のところ、これらは実際のセーリングから、各自が習得しなければならないコツというものがあります。しかし、だから、完成するまで使わないというのではいつ使えるようになるかはわかりません。そのコツを習得した人が、もっと楽しむ事ができる。そういう一歩進んだ考え方を持てるかどうかではないでしょうか?

ヨットは試行錯誤の連続です。その試行錯誤を通じて、いろんなコツを覚える。そのコツが、長い間の経験を通じて積み重なっていきますから、それが自分だけの財産みたいなものです。形ある物はいつかは壊れる運命にありますが、これだけは壊れない。たくさんのコツを掴めば、それだけ
ヨットというものがどんなものであるかが解ってくる。そうすると、どんなヨットに乗っても、応用ができるし、いつも臨機応変に対応できる。ですから、その分、楽しみが多くなります。ヨットをやるというのは、一種の挑戦、冒険みたいなもの。新しい何かを発見して、コツを多く習得するもの。特にセーリングはそういうものだと思います。

ヨットのカタログなんかを見ますと、キャビンでみんなで和気あいあい、そんなイメージの写真があったりしますが、そういうのも有り、でも、違う場面もある。実際は無限にいろんな場面がある。そのいろんな場面のうち、どのイメージで行くかによっては、滅多に味わえなかったり、イメージによっては、しょっちゅうあって面白っかたり、その持つイメージ次第になると思います。ですから、自分が持つイメージはどんなものか? そこを考えてみてもいいかもしれませんね。もちろん、どのイメージが良くて、どれが悪いとう事は一切無く、ただ、味わえる頻度は違ってくるかもしれません。

ヨットの面白さをより多く味わうには、そのイメージに幅がある事かと思います。あらゆる物が多面的であり、ある一面は、そのヨットのほんのわずかという事になりますから、特にキャビンで寛ぐというのは、それも有りですが、非常に少ない側面でもあります。でも、それでも満足して楽しければ、それはそれでも良いという事で、それだけで楽しめるかどうかが重要です。

この点では、日本のマリーナはちょっと違うような。マリーナはリゾート的で、そこに居るだけで、女性も子供も楽しめる。要はヨット好きで無くても楽しめるマリーナ。そんなマリーナであれば、ヨットが海外のように寝泊り中心になる事もあるかとは思いますが、そういうマリーナは日本には少ないので、私の提唱イメージは、デイセーリングで、いろいろなセーリングを味わう事を中心に考える。という事になります。もちろん、これに限定するのでは無く、主としたいイメージで、その他にクルージングもあり、寝泊りもありというのは当然です。でも、意識の中心がどこにあるか、どこを最も楽しみたいか、そこにデイセーリングをと思っています。

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