第五十六話 ヨットのある人生

ヨットがある人生があれば、無い人生もあります。せっかくヨットを手に入れたのであれば、ヨットのある人生ですから、そのヨットは人生の一部ですから、それをどう扱うかによって、人生は変わるという事になります。単なる暇つぶしにもできますし、もっと積極的に人生に関わらせる事もできます。或いは、ヨットがあるのに、無いが如くにする事もできます。

ヨットにどう関わるか?どこまで関わるか? 我々が言える事は、提案であり、ほんの少しの技術的な事であったり情報であったりに過ぎませんが、ヨットをどう昇華し、運用していくかは、ヨットのある人生をどう考えるかによります。

セーリングがどうこう、ジェネカーがどうこうとか言いますが、あくまでも、それらは手段に過ぎません。セーリングする事が人生でも無いし、爽快な気分を楽しむ事が人生でも無い。では、人生とは何か? 昔から考えられて来た事ですが、未だにこれと指摘される事は無い。ならば、答えは無いのかもしれません。これだと言う意見には、必ず反論があります。という事は絶対の答えは無いという事ではないか?という事は、そんな事を考えても仕方ないとも言えます。

流れ、流れていく時間の中で、ただそれらを体験していく。そこに特別の意味は無いし、限られた時間を眺め、味わう。特別な意味を求めて、そこに良いか悪いかの評価を下す。そこに落とし穴があるような気もします。善と悪の実を食べてという話がそれに当たるのかな?

評価をくださないで乗るヨット。ただ浸り、味わうセーリング。それが理想的なのかもしれません。でも、なかなかそこに至れない。それで、まずは、何かを求める。求めて、求めて、徹底的に求めたた時、そこに到達できるのかもしれません。それはヨットに限らず、何でもそうかもしれません。
時に、何も考えずに、特別な何かがあったわけでも無いのに、いい気分になる事があります。求めても得られなかったものが、得られる瞬間です。皮肉な事でもありますね。でも、最初から求めないでは、そういう事が無い。

ああでも無い、こうでも無いとさまよう。どれだけさまよっても、完璧には成り得ない。だから求めないでは、何も得られない。そんなものですね。でも、そこにあるのは完璧な結果ではありませんが、ある種の味わいです。それが良いかどうかは別として、味わいはあります。そこに評価を下すから変な事になってしまう。評価をしないセーリングが出来た時、浸る事が出来た時、それが本当のセーリングを味わった時かもしれません。

時化に出会うと誰もが嫌な気分です。でも、問題は時化にあう事では無く、嫌な気分になる事も避けられない。問題は、その嫌な気分を悪いと評価する事かもしれません。良い風が吹いて快走に出会うといい気分になり、雨が降ると、嫌な気分になり、いつも、その時の状況によって、自分の気分が変わる。全ては状況次第という事になります。だから、その状況を何とかしようと努力します。しかし、状況はいつも思い通りになるわけでは無く、従って、状況次第という事は変わらない。ただ、確率を高めようというものです。

でも、ひとつ別な方法がある。確率を高める努力をしながら、結果を良いと悪いに分けない。その時の気分をただ味わうのみ。本当のセーリングを味わうというのは、そういう事かもしれません。
セーリングに良いも悪いも、本当は無いのですから。時化にあって、恐怖を感じたら、その恐怖のまま味わう。それを悪と評価しないで、その時の気分をそのまま味わう。それができるかどうか?

ですから、微風でジェネカーセーリングをしようというのは、新たな気分を味わう為。それが良いか悪いかの問題では無く、行為を通して、新たな気分を創造する為。ヨットのある人生は、無い人生とは違う気分を味わう為。それはより多くを味わう事になり、たくさんの味わいを持った方が面白いのではないか? ご飯を食べて、たくさんのおかずがあったほうが美味しく頂けるようなものかな?

ご飯と味噌汁だけでも、時には良いが、毎日の食事ですから、それには、いろんなおかずがあったほうが美味しいですから、時に魚があり、肉があり、それもいろんな調理方法があり、いろんな味を味わう。お茶ずけさらさらも時には良いが、肉汁たっぷりのステーキも時にはほしい。つまり、セーリングもいろいろたくさん味わう事が、美味しくいただく秘訣かな?だから、微風から強風まであった方が良いし、ジェネカーは微軽風での調理法のひとつという事になります。

船体も、セールも、そして舵さばきも、セールトリミングも、みんな調理方法のようなものかもしれません。それによって味わいが異なる。だから、技術はあった方がより味わえる。という事は、やっぱりとりあえずは求める必要がある。求めれば評価したくなる。そこが難しいところで、良い気分、悪い気分というのはどうしてもあるもので、それらはその時限りのものである事として、おさめて行く事ができればと思います。本当は、良いと悪いと、この二つに限定されるわけでは無く、気分は実に様々ですから、その様々な味わいを得た事で良しとする?

という事で、ここに書きますいろんな事は、手段に過ぎない。調理法に過ぎない。どんな素材をどういう具合に調理すれば、より美味しくなるか?より多くの味わいを持った方が美味しいかと思います。ヨットのある人生、音楽のある人生、山登りしたり、泳いだり、仕事したり、いろいろあった方が、人生は美味しくなる。人によってそれぞれですが、好きな事をやれば、求めるに努力は不要ですし、好きな事をどんどん求めて、バリエーションを深めていけば、いろんな味わいがあるかと思います。人生に特別な意味など無く、どれだけ味わえるかではないかと思いますね。食事と同じです。
美味しかった、まずかった。否、こういう味だった。でも、いろいろあるから、食事も栄養を取るという目的だけには終わらないのかもしれません。

次へ        目次へ