第九十三話 もしも?
もし、毎日毎日強風で、強風の中で乗るとしたら?そんな事になったら、繊細な事なんか言ってられません。いろんな艤装を操作したり、細かい調整をしたり、そんな事やらなくても、ヨットはビュンビュン走る。 もし、毎日、微風ばかりだったら、その中で走ります。そうなったら、反応も小さいし、それに見合う繊細な調整が必要になる。 あいにく、このもしもは無く、両方あるわけですから、その都度、臨機応変に対応する事になります。ある時は強風で、またある時は微風。微風で出ても、強風になる事もあり、その反対もあります。 もちろん、その中間もあり、アナログ式に変化していきます。もしも、風を選ぶ事ができるなら、今日は何ノットの風とか選べるなら、かなりやり易い。でも、そうはならないのが現実ですから、こちらで対応するしかありません。 そういう変わる風に対して、どういう対応をしたら良いのか?そのどういう対応ができるかというのが、挑戦でもあり、遊びでもあり、面白さでもあり、恐怖でもあり、退屈でもあります。強風では退屈感は無いかもしれませんが、必ずしも恐怖感になるとは限らず、それがその方の腕次第で、腕に自信のある方にとっては、ある程度の強風までは面白さと捉える事ができる。 その逆の微風でも同じで、必ずしも退屈感が必然では無く、腕に自信のある方は、より繊細な操作をして、より鋭敏な感知能力を持って、微風を面白さに変える事ができる。もちろん、面白さの内容は異なりますが。 という事は、もしも、腕が上がって行ったら、程良い風と思う風速の上下のより広い幅を楽しむ事ができるようになる。それは、強い風の方向へも、弱い風の方向へも同様です。楽しめる風速の幅をより大きく持っていた方が、より面白さを感じられる事は言うまでもありません。 それは風向も同じで、上りから横風ぐらいまでしか、遊べないとしたら、これも遊べる範囲が狭い事になります。という事で、いかに遊びの幅を持てるか?風を選べないだけに、こっちが、どれだけ対応できるかにかかっている事になります。 ですから、少しづつでも、その幅を広げていく事は、より面白さを感じる方法という事になります。そしてさらに、同じ風の中でも、どういう操作をするかという方面でも、面白さは違ってくると思います。自分で考えて、ちょっと出した方が良いとか、ちょっと開く、ちょっとマストベントさせる、いろいろ操作があり、それを自分で考えて、こうだから、こういう操作をした方が良いんじゃないかと考えて、操作をします。それで、走りが良くなると、気分は良いはずです。結果も大事ですが、そのプロセスは面白さにとって大事な事ではないでしょうか? いずれにしろ、このいい気分を得たいわけですから、幅は広げた方が良いし、いろんな操作をした方が良い。時に操作をしない方が良い事もある。でも、解ってそうするわけですから、解る事が気分が良い。 幅を広げる工夫をするも、過ぎると、挑戦の度合いが大きくなりすぎると、今度は恐怖感も出てくる。だから、徐々にやる事になります。でも、長い年月を経ますと、その進歩はかなり大きい。0.1ノットの差が、長く走ると大きく違ってきますから、それと同じですね。 そこで、もしも、理想的なヨットがあるとしたら、どんなヨットだろう? そんな理想的なヨットはあるもんじゃないですが、それを考えると、自分のスタイルは見えてくる。スタイルが見えたら、理想は無いので、どこに妥協して、どこには妥協できないと考え、さらにスタイルは明確になる。誰にも理想はあれど、現実に落としていかなければなりませんから、その現実しか遊べないので、実現できる事を考えたら、それが今の自分のスタイル。そのスタイルは永遠でもありませんし、何年か経ったら、変わるかもしれません。でも、あまり先の事を見越して考えますと、今の現実がどうなるか? 先の事は本当は誰にも解らない。 もしも、腕が上がったら、いろんな風をいろんな角度で楽しめるかもしれない。もしも、腕が上がったら、気持ちに余裕ができて、いろんな感覚を遊ぶ事ができるかもしれない。もしも、腕が上がったら、誰を招待しても、平気になれるし、より楽しんでもらえるような演出もできるかもしれない。 そのもしもに向かって進む事で、面白さを維持できるかもしれない。 少なくとも言える事は、気まぐれな風ですから、それにお任せでは、なかなか面白さを味わうチャンスは少ない。やっぱり、もしもを想定して、試行錯誤をしていくしか無いんでしょうね。つまり、偶然与えられる面白さをあてにするより、いかに面白さを創造できるかにかかっているという事でしょうね。子供は勝手に想像して、勝手に遊びます。それと同じように、兎に角、扱い回して遊ぶ。理屈は後からついてくるものかもしれません。大人は先の事に頭が回りますから、なかなかこうはいきません。勝手にもしもを創って、勝手に扱い回して、勝手に遊ぶ。もしも、そうできたら、面白くてしょうがないという事になるんでしょうね。 でも、もしも、理想が現実となったら、その後は無いのかもしれませんね。矛盾していますね。 |