第九十四話 観念

人間の意識とは不思議なもので、知らない間に、無意識のうちに、ある観念が植えつけられます。そして、それが何かのきっかけで破れる事があります。例えば、昔、100mを10秒切れない時代に、誰かがひとり、10秒代を破ると、そこから次々に9秒代のランナーが生まれてきます。それは無意識の観念が、我々を縛っていたからではなかろうかという気がします。

また、昔は最新のレーサーであったヨットが、当時としては大変な思いでレースしていたかもしれません。しかし、今日、それをみますと、どこからどう見てもレーサーには見えない。むしろクルージング艇にしか見えない。そういう事もあります。それで、今日ではそれをシングルが可能だったりします。

人間の能力が高まったという事もあるでしょうが、大きな要素として、無意識の観念の変化ではなかろうか?火事場の馬鹿力というのがありますが、いざという時、この無意識の観念が外れて、並外れの力が出てくる。ただ、こういう時は体を痛める事が多いそうです。ですから、無意識の観念は、我々を守る役目もあるのかもしれません。

さて、それはそれとして、究極的な事では無く、もっと近い処で、やはり同じ事が言えます。シングルは無理とか、これはレーサーだから無理とかです。何も無茶をしようという話ではありません。ちょっと観念が外れればできる事が一杯あるかもしれないという事です。それは自分でコントロールしなければなりませんが、常に、自分がやっている事、考えている事を意識するという事です。冷静に。そうすれば、無意識の不可能に気づく事があるかもしれません。

ある方、53フィートのヨットのオーナーでしたが、通常は私とふたりのダブルハンドでした。ところが、ある日、私の都合が悪く、そのオーナー、結局シングルで出てしまいました。彼には、このサイズをシングルで無理という観念が一切無かった。ダブルハンドの時もそうでしたが、周りから、良く言われました。ふたりで良くやるね。そう言われました。でも、さらにシングルを可能にした。それはオーナーの観念にそういう意識が無かったからだと思います。理屈で考えて、こすればこうできると考えたからだと思います。だから、そんなでかいヨットでも、誰でもシングルが可能ですとは言いませんが、少なくとも、我々の無意識の観念には意識して注意を払った方が、可能性は広がるのではなかろうかと思う次第です。それは何を考え、何を感じ、何をしているかを冷静に観察する事ではないかと思います。もちろん、無茶はいけませんが。

何もちっちゃなヨットで太平洋を渡れるなんて言いません。それは冒険であります。我々一般にとっては無茶の部類です。そういう無茶は別にしても、日常を縛る観念が少し解けるだけで、いろんな事ができるようになるのかもしれません。常識は大事な事ですが、同時に外れる事も大事な事。
それは常識を意識する事から始まるのかもしれません。その常識をどの程度外して良いのか?
自分に聞くしかありません。冷静に理論的に判断する必要がある。全部意識的ですから、それも解るのではないかと思います。

そういう意味では、デイセーラーだって、遠くへのクルージングを可能にするかもしれない。クルージングはクルージング艇で無ければと限定する必要は無いかもしれない。シングルを可能にしたり、いろんな事ができるかもしれない。本当はいろんな事ができるのかもしれません。そこをどう考えるか? ほんのわずかな事で、新しい世界が見えるかもしれません。でも、無茶はいけませんので、そこの処は冷静に理論的に考えていただきたいと思います。ただ、本筋はそのヨットのコンセプトにあり、そのコンセプトにおいて最高の実力を発揮できる事は言うまでもありません。だから、本筋を離れるのは、ちょっとした遊び心なのかもしれません。

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