第55話 楽しいか、楽しくないか

これが好き、こうなると楽しい。あれは嫌だ。こういう事を良く考えます。自然に思います。
それが個性だとも思います。でも、ふっと思いました。条件があれば、ある程、楽しさは
減少するという事です。物事が楽しい事であったり、そうで無かったりするのでは無く、私
の側に楽しむという心があり、その楽しむという条件にぴったり合った出来事に出会える
と楽しいと感じる。その条件が少なければ、少ない程、楽しいという現象が増えてくる。
つまり、何でも楽しめる人は幸福ですね。

ヨットを最高に楽しむ方法は、今あるヨットが、今の自分にとって最適であると思う事では
ないでしょうか。或いは、今から手に入るヨットが最も今の自分にとって最適である、選ん
だヨットが最適であると思う事でしょう。そう思えれば、最高のヨットライフが楽しめる。
もちろん、もっと良いヨットがあるのではないか、と思う。もっと速いのがほしい。もっと大き
いのがほしい。それはそれでも良い。でも、その考えが強ければ強いほど、今あるヨット
がつまらなく見えてくる。そうなると楽しめない。人間の欲には際限がありませんから、こ
れでは永久に最高に楽しむという事はできない。もっと大きなヨットがほしいと思っても、今
あるヨットを今は楽しみ、次にタイミングが来たら、大きくすれば良い。

遠くを夢見、時間の無い今を残念に思い、そうするとヨットは楽しいものでは無くなります。
いつかは遠くへ行くのも良いでしょう。でも、それは未来の楽しみとしてとっておく。今はで
きる事を楽しむ事を考える方が良いと思うのですが。ひょっとすると、引退して時間ができた
時、遠くへ遠くへと夢見た事に興味が無くなって、もっと速く走りたいとか、スポーツとして
楽しむとか、そういう変化が出てくるかもしれません。或いは、デイセーリングを中心にして、
メインテナンスに楽しみを見出したり、ヨットを自分流に改造したり、そういう事に目覚めるかも
しれません。未来を強く意識し過ぎると、それ以外に自分の楽しむ方法は無いと思えてきます。
そうすると、他のあらゆる可能性を閉ざしてしまう事になります。

今できる事とは何でしょうか。誰でも楽しめて、しかも、誰でも通らなければならない過程があり
ます。それはヨットの基本とも言えるショートセーリングではないでしょうか。ショートセーリング
はヨットの操船の仕方を覚える為だけにあるとは思えません。ある程度の操船を覚えたら、多く
の方々が遠くへ行きたがる。それで、ショートセーリングをしなくなる。でも、ショートセーリング
はもっと奥の深いものです。セーリング自体が奥の深いものです。

今あるヨット、大型でも小型でも、ショートセーリングがすぐにできるように工夫する必要がありま
す。それにはシングルハンドが最適だと思うのですが、それが無理なら、誰か一人クルーを確保
する事です。二人いればたいていの事はできる。そのクルー確保が無理なら、シングルハンド
仕様にするにはどうしたら良いかを考える。それでも無理なら、できるヨットに買い換えた方が良
さそうです。

ショートセーリングを気軽に楽しんでいくと、その奥深さも見えてくる。また、見えてきた奥深さに
対して、自分流のアレンジをヨットの施す工夫も出てくる。そういう、ああでも無い、こうでも無い、
ああしよう、こうしようが楽しくなってくる。そういう人が増えてくると、ヨット界は活況を呈し、みんな
が活き活きしてきます。そうすると、マリーナはにぎやかになりなり、マリーナに来るだけでも楽しく
なる。そうなると家族も来たがる。家庭円満になってくる。お父さんが楽しむのは、家庭円満の秘訣
です。

息子や娘、奥さんまでもヨットに来ないというのは実に多い。他に遊びがたくさんあるからという理由
もあるでしょう。でも、ヨットが楽しくて、マリーナが楽しければ来る。という事は今はそうでは無いと
いう事になります。お父さんが心から楽しんでいないからではないでしょうか。家族が来るようになれ
ば、シングルハンドの必要は無い。でも、今は、スタートはシングルハンドから。シングルハンドで
自由自在に楽しんで、そうすると家族はそれに気づきます。何がそんなに面白いのか?今度、乗り
たいと思うはずです。

次へ        目次へ