第67話 すごい人

世の中にはすごい人というのが居るもので、2,3日前、ラジオで聞いたのですが、手漕ぎボート
で太平洋を横断する人が居るそうです。現代のヨットはもはや冒険では無いとかいう話でした。
何の分野にしても、その道の冒険家はいるもので、すごい事をされる。そして、マスコミに載る度
に思うのです。確かにすごい、私にはできない。でも、それで?

彼らの冒険にケチを付けるつもりは毛頭ありませんが、彼らは、生まれながら体力と気力と、勇気
そういう魂を授かった。だからできるのです。天才も同じ。彼らはそういう才能を授かった。犯罪者
でも同じ、彼らはそういう才能を授かった。ここで才能というのは語弊があるかもしれませんが。
本当にすごい事というのは、誰でも鍛えればできるというものでは無いと思うのです。DNAにそうい
う才能が与えられた。だから、鍛えればできる。私にはそういうDNAの持ち合わせが無いので、で
きません。こういう場合はしたいとも思わないのです。逆に、したいと心から思う事は、そういうDNA
が与えられていると思うのです。世間体やみかけなどとは関係無く、心からそう思うならばできる
と思うのです。それは先程の話の裏返しなのです。

彼らが素晴らしいのは、その授かった才能を発揮しようと実行に移す行為です。才能ある人が常識
や世間体によって、才能を発揮せずにいることもある。でも、彼らは実行する。何をしたかでは無く
彼らが自分の才能に素直に従った事が素晴らしいと思うのです。ですから、世界一周しようが、宇宙
に行こうが、それで? と思う。でも、素晴らしいことには違いが無い。

私のような凡人でも、誰でも、普通の人で、何かの才能がある。その才能を隠さずに、素直に発揮で
きれば、それは彼ら冒険家と同じくらい素晴らしいと思うのです。才能があるのですから、本来はでき
てあたりまえなのですが、実際は、様々な要因で才能を発揮できないのが一般的なのです。その
才能が何であれ、自分自身に素直に従える心が素晴らしいと思うのです。

前にも言いました。ヨットが好きだ。これは才能です。セーリングしてみたいと思った。これが才能です。
どの程度うまくなるかは、どの程度うまくなりたいかにかかっています。本当に才能が無い人が、心から
したい、こうなりたいと思う事は無いと思うのです。心から思ったことは才能があるのですから、できるの
です。そして、いかなる才能であれ、それを発見して、実行に移せる人がすごい人なのです。こういう意味
ではみんなすごい人になれる。だから、冒険家の行為に驚く必要はありません。彼らを行動に導いた心に
驚くのです。そういう意味で彼らはすごい人達です。

湾から出た事が無くても、セーリングが好きで、セーリングを追及している人。それを心から楽しんでいる人
はすごい人なのです。ただ、行為そのものが目立たないだけなのです。すごい事には変わりない。生きて
いる限り、自分の才能を充分発揮したいものです。それが最も充実感を与えてくれるからです。それには
心からしたいと思う事を見つける必要があります。常識も世間体も偏見も頭脳も捨てて、心から感じる何か
を見つけなければなりません。それは頭脳が働き出す前に、感じた、したいと感じた事をやってみることでは
ないでしょうか。何でも真剣にやってみることではないでしょうか。それで後は、頭脳さえ邪魔しなければ、自
然にわかってくるような気がします。今、したいと思った事は少なからず才能がある。どの程度あるかは、どの
程度したいと思うかによります。そうやりながら段段わかってくるような気がします。

誰でも、すごい人になれる。人の評価では無く、自分自身の評価で良い。ヨットに乗ってみたいと思った人。
あなたには、その才能がある。自分の才能に従うのが良いと思うのです。だから、ヨットに乗る人がみんな、
外洋へ行く必要も無いし、日本一周する必要も無い。自分のしたい方法で、したい心を追求すれば良いと思う
のです。逆に、才能も無いのに、周りの環境におされてすると、とんでも無いことになる。心はしたくないと思う
からです。

次へ         目次へ