第三十七話話 学ぶ

何かを習得しようと思ったら、それについて学ぶ必要がありますし、練習が必要になります。しかし、それでも、どこかの時点で気持ちがだれてきたりもします。なかなかモチベーションを維持するのは難しい。だからこそ、価値があるとも言えます。

ヨットを学ぶというより、レジャーとして捉えるならば、何もこんな事を考える必要はありません。でも、ヨットというものは、レジャーだけではどうも収まりきれないような気がします。クルージングにしたって、レジャーを超える何かがあります。

つまり、クルージングだろうが、レースだろうが、セーリングだろうが、レジャーに留めるにはどうも使い切れない感じがします。だから、やっぱり、そこに学びがあって、成長/進化があってこそ、そこに充実感が生まれるのではないでしょうか?

しかし、そうしますと、必ず困難な壁も現れる。越えるべき何かが現れる。それを越えようとするかしないかで、ヨットがレジャーなのか、それを超えた趣味的な何かなのかに分かれていくような気もします。どっちにしようが自由な話。各個人の考え方、価値観次第ですが。

ヨットで無くても状況は同じです。何かを習得するには、何かを差し出す必要がある。それを簡単にできる人が天才と言われる人かもしれません。天才にとっては、いとも簡単にできるようになるわけですから、傍から見たら、羨ましくてしょうがない。でも、天才本人は、ちっとも面白くは無いのかもしれませんね。簡単にできることは面白くないですから。

その天才も、もっと面白い事となりますと、もっと上を狙わなければなりません。そうしますと、やっぱり乗り越えるべき壁が現れる。同じ事ですね。人間は厄介な生き物で、結果だけでは心から満足できないで、それなりに伴うプロセスが必要なのかもしれません

達成するレベルは違っても、そのプロセスは誰もが面白さとして味わう事ができる。我々が求める面白さとはそういうものかもしれません。その面白さを困難として見るのと、ただ越えるべき壁として見るのとでは対応の仕方も違ってくる。そこらあたりがまた差を生み出すかもしれません。

でも、ヨットという趣味で見る限り、何かすごい記録を打ち立てようとか思わない限り、気楽に進めば良いのかな? 高い目標がモチベーションを高めるという事もあるとは思いますが、それも両刃の刃で、今よりちょっと先を見る程度でしょうか?

どんな時にも自由自在に操船できたらどうだろう? 誰よりも速く走りたいと思うと、とっても大変ですが、それは兎も角、微風だろうが、強風だろうが、ジェネカーを使おうが、使うまいが、どの程度の強風迄ならとか、仮に制限はあるにして、気持ちよく自由自在にその走りを楽しむ事ができる。
まずは、それで良いかな、目標としては。その次は? その時に考えます。きっと、その時はその先が見えているはずですから。

充実感や面白さを求めながら、反対側では、あれもこれも面倒は嫌というわけにはいきません。
だから現れた壁はただの壁であって、面倒とか嫌とか言うものでは無く、ただの壁でありますから、ただ、淡々とこなしていければと思います。理想的にはですが。しかし、それを超えてしまうと、何かが感じられます。

では何から学ぶか? 最初は、ジブとメインのシート操作だけで、それと舵ですが、そこに自由自在を目指し、そこから発展していけば良いかと思います。これだけですと簡単です。でも、自由自在となると、これにリラックして、馴染み感を得る事が必要になります。そこまで行くには、多少なりとも時間がかかるかと思います。

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