第三十九話 セーリングをスポーツする

セーリングをレース以外において、普段使いにおいて、スポーツとする。レース以外のセーリングをピクニックと誰かが言った。しかし、ピクニックとスポーツセーリングとは別物なのです。何となく、印象的にもその違いは感じられると思います。

スポーツとしてのセーリングを、レースという概念から切り離したいと思います。ピクニックからも切り離したい。それはスポーツセーリングとして単独で成り立つものです。そういう考え方が広く浸透していけば、もっと多くの方々がセーリングを楽しめるようになると思います。

人は自分の考え方の中にのみ存在できる。考えられないものには想像すらできません。何故、真剣セーリングならばレースであり、のんびりセーリングならピクニックなのか?何故、ハイパフォーマンスならレースなのか? そういう概念が自然と生まれ、何の疑問も無く進んできました。しかし、集中セーリングがあって、それがレースで無くても良いし、シングルや家族/友人とのセーリングがピクニックである必然は無い。

そこに生まれるのが、否、新しく生まれるわけでも無く、昔からあったセーリングなのですが、これまではそこに名前が無かったから、誰も知らなかったという事も言えます。セーリングをただ、純粋にスポーツするという事です。

そのスポーツは、何のスポーツでも同じですが、いろんな様相を持ってます。集中力を余す処無く発揮し、真剣に取り組むスポーツもあるし、そうでは無く、もっと緩やかにやるスポーツの場合もあります。どちらにせよ、そのスポーツ自体を楽しんでいるわけです。スポーツしている時、意識はそのスポーツに注がれます。どういう度合いだろうと、どういう真剣さだろうと、どういうレベルであろうと、そのスポーツそのものを楽しんでいるわけです。

だから、セーリングも、セーリングそのものを楽しむ。高い緊張感をもったり、あるいはゆったりしたり、でも、セーリングそのものを楽しむ意識は同じです。それがスポーツセーリングです。そういうジャンルがあっても良いんじゃないでしょうか? ヨット先進国である欧米人が、デイセーラーを使う意味はそこにあります。それはハイパフォーマンスとシングルハンドが可能だからです。レースにこだわる必要は無いわけです。もちろん、参加して楽しんで良いわけですが、こだわらないという事です。何故なら、目指すは、スポーツだからです。セーリングそのものを楽しむ事です。

ハイパフォーマンスをシングルで乗りこなす、家族で楽しむ、友人と遊ぶ。そういうスポーツです。セーリングを愛でるという事かな?意識がセーリングにある。それはスポーツセーリングであります。
繰り返しますが、それはレースともピクニックとも違うものです。セーリングそのものが主役なのです。

そうなると、いかにセーリングをこなせるか? それが重要項目になります。自由自在を目指すようになります。自由自在に、あらゆるセーリングの側面を楽しみ、シングルでも、家族とでも、そこに成長を望みます。日本でもスポーツとしてのセーリングが広がる事を望んでいます。全てのデイセーラーがシングルハンドを可能にしている意味もここにあります。そして、いろんなレベルのパフォーマン性能がある意味もここにあります。

スポーツレベルの度合いの違いがあって、それを自分に合ったレベル、望むレベルのスポーツ性を選択する事ができます。そのうえで、セーリングを堪能する事を主軸にして、望めば、ピクニックでも、レースでもクルージングでも楽しむ事ができます。

次へ      目次へ