第三十話 偶然を超える

昔ですが、釣りに少し凝ってた事があります。フライもやったし、ルアーも、その前は海の普通の釣りもやりました。何度かは良い釣りも経験しました。しかし、結局は下手でした。下手というのは、今から思えば、偶然に連れたんであって、工夫して、意図して 釣ったという事は少なかったと思います。何故か? 特に、勉強しなかったから。ただ、竿持って釣り場に行っただけでした。だから、偶然釣れる事はあっても、偶然の域を出なかったんだろうと思います。その後は、全くやってません。

それよりもっと昔、学生時代ですが、ビリヤードに凝ってまして、しょっちゅうやりました。もちろん、多少は上手くなったとは思います。しかし、ある程度以上には行きませんでした。でも、偶然のポケットも時々あってました。がそこまででした。特に学びもしませんでした。偶然の楽しみ以上の事は無かった様に思います。

山登りもやりましたが、これは友人に連れて行ってもらった山登りで、特に、これも特に自分で学んだりはしませんでしたが、友人任せでも、自分の足で登るので、これはかなりきつかったですが、かなり面白かったです。でも、これも友人が転勤してからはやらなくなりました。

結局、何でもそうですが、やればある程度は行けます。そこそこ楽しめるんですね。ところが、それ以上上手くならないもんですから、面白さもそこまで、偶然でも頻発してくれない事には面白く無くなります。それで結局やらなくなります。今から思えば、少しでも勉強していたら、もうちょっと上手くなってただろうと後悔します。それで、あの時、もうちょっと学んでいたら、それでもっと上手くなって、もっと面白くなって、そうしたら、今でも楽しんでいるかもしれません。

結局、やればある程度上手くなるものの、そこから以上は、やっぱり学ぶ必要があって、自分で考える必要があって、それなしでは、天才でも無い限り上手くならないので、たまの偶然しか楽しめなくなって、その偶然もそうあるもんじゃ無いので、結局はつまらなくなって、やらなくなる。そういう事になっていくんじゃないかと思います。

それをセーリングに当てはめても同じだろうと思います。やれば、そこそこ乗れるようになって、それ以上は、やはり少し本気で学ばないと上達していけない。それでは面白く無い。ただ、かろうじて、たまの偶然の良い風と、ピクニックなんかが支えている。そういう事ではないかと思います。

ですから、これを突破する為に、やっぱり学んで、考えて、実践する。これさえ突破できれば、面白さが湧いてくるんじゃあないかと思います。こういう技術を要するものは、技術を養う事で面白くなるし、知識を要するものは、知識を増やす事で面白くなっていくもんだろうと思います。でも、趣味ってそういうもんですよね。セーリングは趣味にしないと、面白く無くなると思います。レジャーに留めおくと限界があります。

ある程度のレベルに達するには、かなり早い段階でそうなれると思います。何しろ、初心者の頃は、早く覚えたくて、一生懸命、緊張(集中)がありました。それだけに面白かったと思います。問題はその先をどうしていくかだと思います。そのまま、セーリングに集中していれば、他の事ももっと楽しめたのではなかろうか? と勝手に想像しています。

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