第45話 である事

何かを始めようとする時、技術を習得する為に習い、本を読み、練習をします。技術は重要
ですし、それ無しではする事ができないのは当たり前です。ヨットを始める場合、ヨットの各
部の名称を覚え、理屈を覚え、各部の働きと動かし方を習います。こういう技術的な事は
それで重要なのですが、ある時、ふと考えたというか、気がついた事があります。

テクニックさえあれば、ヨットは楽しめるのだろうか?もっと重要な事があるのではないか。
それは自分が何であるか、ではないだろうか。とても抽象的な言い方ですが、これ以上には
表現できません。自分が何かであり、その何かから出た気持ち、ヨットをしたいという気持ち
それがあってこそ、技術の習得をする事によってヨットが始めて楽しめるのではないだろうか。
その何かが技術の習得レベルさえも左右し、楽しめる度合いも左右するのですはないか。

これはヨットに限らない事かもしれません。何をするにしても、遊びばかりか、仕事においても、
販売のノウハウやそういう本だけ、つまりテクニックだけでは自分の本当の物にはならないよう
な気がします。テクニックより自分が何者であるかが最も大切な要素ではないだろうかと思う
のです。テクニックは言うなれば、コミュニケーションにおける言葉そのものです。言葉をたくさん
知っていれば、それだけ豊かな表現力を持つ。しかしながら、豊かな表現力も、何を話すのか
というのが大切で、たいした意味の無い事をあらゆる角度から表現する事ができても、たいした
事では無い。何を話すかは、自分は何者かという事であるから、これが重要ではないだろうか。
何者であっても良いのだが、自分のレベルに応じた話となるので、遊びでも仕事でも、同じレベ
ル、自分のレベルになるのではないだろうか。

ヨットを楽しむには、ヨットを楽しむという心が自分の中に充分あるかどうか、ヨットに圧倒されない
心、そういう物を持つ事が大前提にあって、その上でテクニックを習得していく。その段階で、さら
に楽しむ心が大きくなっていき、さらにテクニックを習得する。つまり、テクニックより、何であるか
が先なのです。

自分が何者であるかなんていう事は簡単にはわからない。先日、ある仕事で関係各所を回りま
した。その時、最初に行った先のドアの前で、これはうまく行くと感じました。理由はありません。
ただ、単にそう思っただけです。そうすると自信も沸いて、落ち着いて話もできましたし、その先
の各所を回っても、気持ち的には余裕がりました。いくつかの問題はあったのですが、そんな事
は全く気になりませんでした。結果、全てうまく行きました。偶然といえば偶然ですが、これは
自分で言うのもなんですが、自分がそのレベルの者であったという事だと解釈しました。

ヨットに乗る時、最も大切な事は自分がヨットを乗りこなして、おおいに楽しむ事ができる人間であ
ると心から思う事ではないでしょうか。いや、本当はできるのは当たり前で、意識さえしない。
これさえあればテクニックなんてどうにでもなる。そういう気がします。これでも曖昧で解りにくい
表現ですが、ご勘弁を。自分でもまだ良く解っていないのですから。

ヨットに限らず、全てはここから始まるような気がします。何をするにしてもです。そして、これは
努力とか言う事とは全く関係が無い。ただ、自分が何者であるかという事だけではないかと思う
のです。昔から言うところの器や人間のレベルというものでしょう。もちろん、これには大きい小さい
上や下などは全く関係が無い。才能があるかどうかなんて悩む必要は無いのです。悩むとしたら
悩んだ分だけ才能は無い。

催眠術によって、人は常識では考えられない事をしたり、力が強くなったり、感覚さえも変わって
しまう。つまり、意識の中にある事が我々の感覚を左右している事になります。つまり、意識が
全てを左右しており、できるかできないかは、どんな意識をもっているかによって既に解っている
事なのかもしれません。意識が自分の力を制限していることになります。逆に言うと開放する事も
できるはずです。何を言ってるんでしょうかね。自分でも良く解っていません。でも、何かあるような
気がしてならないのです。

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