第70話 世界を造る

誰でも自分の世界を持っています。自分が知っている事が自分の世界であり、自分だけ
の真実です。世の中はこうであると信じた事が、そのまま自分の世界です。知らない事
は自分にとっては存在しないのです。こんな話を聞いた事があります。ニューギニアの
現地人、その生活は非常に不衛生、そこで文明人が衛生的知識を教えた。ところが、不
衛生と思われた生活をしていた時には風邪をひくなんてなかったものが、衛生の知識を
得た途端に、風邪をひいたり、お腹を壊したりした。という話です。

何かをする、行動するという事は大切な事です。しかしながら、その前に自分が何者であ
るかが重要で、自分が信じた世界しか無いわけですから、自分の信じた範囲以上の行動
をする事はできません。ヨットは危険であると信じた人は、ヨットの危険さばかりを見ます。
それでは楽しめる事はありません。ヨットは退屈だと信じる人は、退屈さしか見ない。ヨット
は非常に面白いと信じた人は、ヨットを楽しむ事ができる。結局、ヨットをどのように信じて
いるかで、自分の世界を作り上げています。そして、信じた通りに行動します。

大きなヨットが楽で良いと信じた人は、小さなヨットでは満足しない。でも、その信念に少し
でも他のの考え方を受け入れる余裕を持つ人は、小さなヨットに乗った時に、その良さを感
じる事ができるかもしれない。人は自分の信念に従って行動しますが、いつも、他の何か
を受け入れる姿勢があれば、自分の世界は広がっていく可能性があります。

私は、長い間、ヨット業界に居て、本当にヨットを満喫しておられる方々がどのくらいおられ
るだろうか、と疑問を持ってきました。ヨットに興味を持たれる方々は多いです。でも、一旦
中に入ってしまうと、最初の数年はあれこれやりますが、その後はなかなか楽しんでおられ
るようには見えない。日本は経済的に豊かで、しかも海に囲まれている。確かに、いろんな
障害もあるでしょう。でも、少なくとも海は無くなりはしない。一部の国のように、政府が禁止
しているわけでもない。ヨットを自由に持つ事が許され、海があり、世界の中でも、日本は
豊かな国なのです。でも、ヨットを持ったが、楽しんではおられない。これはヨットのせいでも
無いのです。

TALK&TALKを書きながら、いろんな要素を考える機会に恵まれました。そこで得た事は
自分の想像する世界に、ヨットを楽しむという事が入ってはいないからではないかと思いま
す。ヨットをステータスの一部に祭り上げているのかもしれない。時化た海を想像して、危険
と思っているのかもしれない。あれがあれば楽しめるのに、もっと大きければ楽しめるのに、
もっと遠くへ行ければ楽しめるのに、もっと楽なら楽しめるのに、仲間が来れば楽しめるのに
彼女と一緒なら楽しいのに、いろんな条件をつけます。人は無い物を常に求め、それがあれ
ば良いのにと思います。そして、それがあった時、瞬間的な楽しみは得ても、再び、無い物
を見つけては、あれがあればと思う。これでは永遠に楽しむ事はできなくなります。ある造船
所のおやじの言葉、何で、何でも揃わないとセーリングできないんだ?

そこで得た結論は、日常に、短時間でも、一人でも、楽しめる方法を持つ事です。ヨットやって
何が面白いかといって、セーリングが最も面白いのです。セーリングする為にヨットに乗ってい
ますし、セーリングはヨットでしかできない事です。彼女とデートはヨットで無くても楽しいもの
です。家族と旅行するにもヨットでなくてもできる。ヨットは単なる手段になっています。宴会でも
ピクニックでも、何をするにもヨットが手段になっている。そこで、ヨットを手段では無く、目的に
する事がヨットを最も楽しめる方法だと思うのです。

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