第四話 セーリングを通じて海を愛でるというマイナー的思考


      

 
セーリングを楽しもうとする行為は残念ながらマイナーです。セーリングは知識だ、技術だ、スポーツだなんて言うからマイナーになってしまうのかもしれない。本当は、ただ海に出るというだけで、海という非日常の環境に完全に浸る事さえできれば、それで充分かもしれない。ところが、そんな単純な事が最も難しい。

それができないからこそ、海に出て何かをしたいと思う。陸上では、何かをしたいと思うのは当たり前の事だけれど、それが海ではマイナー的思考となり、メジャー的思考はにエンターテインメント性を求める事になる。この思考の分かれ目が何処にあるかが解らない。

マイナー的思考はセーリングを目指し、それを通じて海を味わう。知識を増やし、技術を学び、試行錯誤してセーリングを探求する。この主体的行動が彼らの海を味わう方法だ。簡単な事では無いし、時間も要する。だからマイナーになるのかもしれないが、確実に、限られた人生の中にセーリングという経験と味わいを積み上げる。

さらに、セーリングに試行錯誤を試みながら、その思考がふと停止した時、たまにそういう時がありますが、完全に受動的になった時、あの単純に海に浸るという状態に到達する事がある。この時程、良い気分になれる事は他には無いかもしれない。そう考えれば、セーリングは海を愛でる手段に過ぎないが、一見、遠回りに見えて、これ以上の近道は無いのかもしれません。

あらゆる行為が人生を創る。それをどういう手段でどうしようが自由で、自分の人生をどう考えるかに寄ると思います。そのひとつの方法として、セーリングを通じて海を愛でる。セーリングという特殊な経験と自然に対する味わいが加わるだけです。ストレートに海に浸る事ができれば良いのですが、何らかの手段を経由しないと、そこに到達できない。でも、そのお陰で、セーリングと海というふたつの経験と味わいを、自分のものにできるというのも悪く無いと思います。

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