第三十五話 ヨットと楽器は同じもの?


      

セーリングというのは何らかの楽器を自分で演奏する事と似ています。最初はドレミを覚え、練習して、簡単な曲をたどたどしくでも弾ける様になり、やがてそれが楽に弾けるようになり、そうなるともっと先の少し難しい曲に挑戦していきます。少しでも良い音を奏で、自由自在に弾けるようになったらどんなに楽しい事か。進化していくのは技術ばかりか、自分の感性も進化していきます。

楽器やヨットというのは、これまで使ってこなかった身体の動かし方に慣れる必要があります。最初は違和感があって身体は固く、頭で動かしているものの、やがて馴染んで、自然なフィット感を感じて来る。そうなると身体はより楽に、自然に無駄無く動くようになる。音楽とセーリングという違いはありますが、本質は同じではないかと思います。

それがどんなレベルであっても、楽に、自由自在に演奏又は操作できるようになると、その分.思考より感覚が増してきます。だから自分で楽しむ事にもなれば、その感覚でもってより良い演奏なり、セーリング状態なりを創る為に、ちょっと変化を加えたりという余裕をも楽しむ事ができる。つまり、上手くなれば、ただ弾ければ良い、ただ走れば良いから、より良い状態を創り出そうする余裕ができる。これは感覚的に解るからです。そして、徐々にレベルを上げていく。楽器とヨットは似てませんか?

音楽もセーリングも自分の感覚レベルを上げていく。だからより解る様になるし、感じるレベルも高くなる。それが面白さも増して行く事になると思います。誰も、ドレミさえ弾ければ充分だとは思わないでしょう。動けば良いというレベルから、少しでもより良い走りを感じれば、その方が面白いし楽しめる。ただ、楽器は曲を演奏する前にかなりの基礎練習が必要ですが、セーリングの場合は即セーリングするわけですから、即楽しめますね。いきなり曲を弾くみたいなものです。楽しみながら、遊びながら、それがそのまま練習にもなります。

複雑な音楽理論、セーリング理論、いきなりは無理でも、自分が解って来るとその複雑さが面白さとして捉えられるようになる。そうか、と解るからです。それは自分の感覚を伴っています。何と言っても、徐々に自分の感覚がレベルアップして行く。その感覚を楽しむ。だからセーリングはフィーリングだと思う次第です。そして気分はある特定の状態だけをグッドというわけではありません。速く走る時ばかりか、ゆっくり走る時でもグッドを感じる事ができる。

昨今、昔やったギターなんかをもう一度再スタートさせる方も多いそうです。あの時の感覚が残っているんでしょうね。もう一度挑戦して、自由自在に弾ける様になりたい。全てはグッドフィーリングの為に。このフィーリングはやった者しか味わえないし、何物にも代えがたい。我々、最後に残るのは経験を通じて獲得してきたフィーリングだけなのでは無いでしょうか?自由自在にセーリングできるって、グッドフィーリングですよね。

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