第八十五話 一生もの


      

かつては、生涯において何度も買い替えるというのが珍しい事では無かった。そして、買い替える度にサイズが大きくなっていった。今と違って、小さなヨットが殆どで、いつかは30フィートなんて言われた時代です。でも、今は違う。

周りを見渡せば大きなヨットが珍しくも無くなった。むしろ、30フィートは小さい部類に目に映る。40、50、おまけにパワーボートなんか、もっとでかいのがたくさん目につく。もはや小さなサイズから、買い替える度に大きくするという気運は、かつての様には無くなってきたのではなかろうか?

とするなら、最初のヨットは小さくからでは無く、大きなヨットから始める事もある。それも様々な装備がそれを可能にしてきたとも言える。という事は、小さい、大きいのサイズは兎も角としても、自分の感覚における自分サイズを、それを一生ものとして検討される様になるのかもしれない。或は、生涯、最後のヨットとして。

実際、30年以上経過したヨットが中古としてたくさんでてきたわけで、それらを見ると、もっと使える事が解ってきた。今自分が何歳だろうが、普通に、そのヨットは一生使えるのです。車なんかは今でも何度も買い替えるのが普通だから、人生最後としての車はあっても、一生ものは無いと言って良いかもしれない。

一生もの、或は、最後のヨットだとするなら、ヨットに対する見方も変わってくる。最初は、いろんな場面を想像し、できるだけそれに対応できるヨットを検討しがちではあるが、よくよく考えていくと、最も重視すべきは自分のこだわりの部分、感性的な部分では無かろうか?何しろ、ヨットは仕事をするわけじゃ無し、自分の求める感覚を最も味わいたい、その為の道具だから。性能も便利も美しさも、品質さえもその感覚を味わいたいからであり、ピクニックにしたって同じ。どの感覚に最もこだわるか?それが自分自身のアイデンティティーだから。

キャビンにこだわっても良いし、スピードにこだわっても良いし、デザインや広さや大きさや質、何だって良いわけで、そこから得られる感覚はどんなものかと想像する。その感覚を、生涯を通じて発展させて、その発展するプロセスを味わい、より深く進化させていく。ヨットは遊びだけれど、そう考えると、ただの遊びでは無く、進化させる事によって面白さに変わるのではなかろうか?そうなると一生ものになる。

結果は別にしても、今は、一生ものとして見る。一生ものなら何でも良いわけには行かないし、一生ものなら良く知りたいと思うし、大事にもしたい。何しろ、これから生涯の相棒になるのだから。

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