第四十一話 レースを意味しないスポーツセーリング


      

セーリング重視がレースを意味したのは昔の話。かつて、レースしますか、クルージングしますかと聞いていた頃の話です。今日では、最新デザインであっても、いろんなスピードポテンシャルを持つヨットが建造されるようになりました。もし、セーリング重視がレースを意味するのであれば、勝てるスピードを持たせないと意味が無い事になります。でも、実際はいろいろなスピードポテンシャルを持つヨットが生まれています。

この事は、セーリングをスポーツとして、レース以外でもセーリングを楽しむという意味があると思います。スピードもそうですが、操作する事、その反応を見て、感じる事、実際にやれば、実に多くの味わいがあります。そのセーリングの味わいを楽しむ事こそがスポーツセーリングという事になります。

クルージング艇でレースに参加できますし、スポーツセーリングを楽しむ事もできます。ただ、クルージング艇の主目的は別の処にある。それは居住性ですが、旅と泊まりを軸に考えてあります。その居住性をそのままにセーリング性能を高めたのがパフォーマンスクルーザーで、その居住性をシンプル化して、さらにパフォーマンスを上げたのがレーサークルーザー、さらにそれを進めるとレーサーになっていきます。また、この流れとは別に、パフォーマンスクルーザーからレーサークルーザーのパフォーマンスを持ちつつ、シングルハンド化したのがデイセーラーというものです。

セーリングを重視したヨット全てががレースを目的に建造されたわけでは無い事は明らかです。いろんなスピード性能があるわけですから、勝つか負けるかのレース以外に、セーリングそのものを愛でる事を目的にしていると思います。もちろん、海外ではクルージング艇を含めてワンデザインレースを楽しんだりもしていますが、それが主目的ではありません。

レースでは、競争相手が居るわけですから、その相手との関係性において成り立ち、こちらの動きも相手の動きによって変わります。つまり、今、快走をしているからといって、それに浸っているわけにはいきません。スポーツセーリングが違うのは、相手との関係性では無く、自分自身と風との関係性になり、そのうえで、走りを感じるスポーツとして成り立ちます。同じセーリングでも、乗り手の頭の中や心の中は別な処にあります。あらゆる操作によってヨットの動きをコントロールしながら、あらゆるフィーリングを味わう。この味わいの良し悪しを楽しむのが、スポーツセーリングだろうと思います。勝ち負けでは無く、どんな味わいだったのか? どうすればもっとグッドフィーリングを味わえるのか? 目的が異なります。

という事で、ヨットは居住性とスポーツ性の、大きく分けて二つ。そのヨットは、その割合をどう考えてデザインされているのか? そして、自分の使い方の割合はどうか? こう考えていきますと、全体の中間にあるのがパフォーマンスクルーザーではないかと思えます。もはや、レースをしないからクルージング艇という時代ではありません。主目的が旅と泊まりだと明確なビジョンがあるからクルージング艇であり、旅はたまに、日常はセーリングを楽しむという明確な目的があるからパフォーマンスクルーザーが良いとかになる。それをシングルでやる明確な目的があるなら、デイセーラーですね。

セーリングを真剣にやりますと、ヨットの動きがより一層感じられるようになり、そんな事を続けていくと、自分の感覚も鋭敏さを増してきます。繊細な変化が、当たり前の様に感じられ、当然ながら、操作もそれに応じるようになる。そんな感覚を持つと、真っすぐ走るだけでも、セーリングの違いを感じられるようになります。レースでは無いスポーツセーリングは、そんなセールフィーリングを愛でる事ではないかと思います。セーリングは、必ずしもレースの為だけにあるわけでは無い。

競争相手の居ないセーリングはどうすれば良いのか? ひたすら風との調和を目指す。スピードを求めますが、決してそれだけでは無い。あらゆる操作と動きに、自分が何を感じているかを意識して、その感覚に従うのが良いのではないかと思います。セーリングはフィーリング重視だと思います。同時に、それは風と如何に調和しているのかを感じる事でもあると思います。もちろん、その為に頭脳も使う。


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