第四話 運が良くなる話


      

少なくとも、ヨットオーナーであるという事は運が良いと思います。ヨットオーナーには簡単に誰でもなれるもんじゃないからです。でも、そのせっかくのヨットを楽しんでいないとしたら、それは運が悪い。マリーナには、そんな運が悪いヨットがたくさんあります。何しろ、滅多に動かないし、使われてもいない。それでいて、毎年マリーナ保管料だけは出ていく。これでは、せっかくの幸運を捨てている様に見えます。

技術の発展によって、現代のヨットは非常に便利になってきました。そんな時代に生きる我々は運が良い。そのうち全自動となって、セールトリミングさえ全自動で、全くの素人が、プロのレーサーにレースで勝つ事も将来はあり得ます。しかし、そこまですると運が悪い。何故なら、誰が操船するかは問題では無く、誰がボタンを押すかの違いでしかありません。

便利になったら、それに任せっきりになりがちです。そうしたら充実感なんて湧いてこない。それゃあそうでしょう、自分では何にもしていないんですから。全部、コンピューターがやってます。そして、もし、何か不都合な事でもあれば、コンピューターのせいで、壊れた、買い替えしようか、なんて事になり、全部コンピューターのせいです。でも、これって、全く充実感なんて無いですよね。

こんなコンピューターが無い頃、オーナー達は自分で考えて、全部自分でやってました。それゃあ、今から思えば大変だったと思います。ファーラーなんて無い、風に応じてセールを変える。それだけでも大変です。でも、自分でやった事に対して、不具合も全部自分のせいで、でも、うまく行ったのも自分のせいですから、充実感は半端なかったと思います。これは運が良かった。ヨットを最大限に活かして、充実感を得たわけですから。

だからと言って、便利を拒否しようなんてつもりは毛頭ありません。但し、自分の居場所を確実に確保して、それを中心に置いておく。つまり、電動ウィンチを使おうとも、自分で考えて、自分でセールトリムをする。自分でヨットを動かす事が重要で、うまく行く事もあれば行かない時もある。それでこそ、セーリングに自分自身を軸としていますから、充実感もわいてくるのではないかと思います。つまり、自分で考えて、操作して、工夫して、その結果は自分が引き受ける。便利はあくまで補助的なもの。

つまり、多くの動かないヨットは、オーナーが動かしていない。ただ、乗ってるだけではなかろうか?この微妙な違いは大きい。自分が居ないから、充実感が沸いてこなくて、これは不運を自分で創っています。でも、それをいかなる方法でも、楽しんでいるのなら、それは幸運を創っている。不運をそのままにしておくのは良くないので、どうにかして楽しむ方法を考えてトライしてみては如何でしょうか?そうするだけで、運は向いてくる。或いは、どうせ乗らないのなら、そんな不運なヨットは手放した方が良い。

良い運を持たないと楽しむ事はできないと思います。もちろん、充実感も無い。でも、その運は、自分で決めるもの、どうにかしようと思った途端に、運は付き始めるのではないでしょうか?その為には、今現在の状態を、既にそうであるものは仕方ないので、これで良いとして、今後をどうしたいかから始めると、途端に、運は向いてくるのではなかろうか?良い運とは、良い事ばかり起きるのでは無く、悪い事も含めて、それを全部自分で引き受ける覚悟を持つと、覚悟なんて大袈裟ですが、そこから運が向いてくるのではないかと思います。運は案外あなどれないと思います。


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