第十二話 人の性能


      

ヨットにどんな性能があるかは重要である事に違いはない。しかし、そのヨットを動かしているのは人ですから、ヨットと人の性能の両方を足したものが、その全体の性能という事になります。ヨットの性能は変える事ができませんが、まあ、例えばセールを変えれば変わりますが、ヨットの基本性能を変えるわけではありません。ところが、人の性能は変える事ができます。

人の性能は上達させる事ができますし、また、コンセプトを変える事もできます。クルージング性能を持つ人が、レースに目覚めてレース性能を持つ事も可能です。これがヨットなら、劇的変化と言っても良い。この様に、人の性能は如何様にも変える事ができます。と言う事は、最も面白いのは、固定されたヨットの性能では無く、自分の性能の変化にあるのではないかと思います。つまり、変化する自分自身の様を楽しむという事です。

人の性能には知識や技術ばかりでは無く、もうひとつあると思います。それは、感覚的な感情です。楽しさ、面白さ、恐怖感、微妙な感覚の変化、あらゆる感覚です。それは、その時の状況によってどんな感覚が現れてくるかは解りません。状況に対して反射的に感じる感覚です。ここに心地良さを感じたいわけで、その為に、知識や技術を上達させる事になります。さらに、また、感覚には、この反射的感覚以外に、例えば、好き嫌いの様な理屈では説明できない固有の感覚もありますが、これこそが、人の性能の根底を成すものかもしれません。

簡単に言えば、自分の好き嫌いの感覚を如何に満足させていけるか。それを風の変化に対して、どう対応できるかで、反射的感覚が沸いてきて、それをどこまで満足できるレベルにまで上げるかは知識と技術に寄る。つまり、上手くなればなる程に、自分の感覚が喜ぶ機会がより多くなるという事になります。固定されたヨットの性能を軸に、向こう側には変化する風があり、こっち側には自分でコントロールできる自分の性能がある。風の変化の大きさに対して、こっち側の性能の幅がどれだけのものか?この幅によって、面白さの幅が決まっていくと思います。だから、上手くなった方が面白い。

人の感覚は一定では無く、時に、今日はゆったりしたいとか、集中してより速くとか、大雑把だったり、繊細になったり、その時々においても、自分の意識とは無関係に変化したりもします。ゆっくり走る時でも、集中して微妙な変化に気づいて楽しむ事もあり、速さの中に面白さを見出す事もあります。人の性能は非常にバリエーションが広い。そのバリエーションの広さに、如何様にも対応できるのが、これまた上手い方が良いわけです。だから、上達していく自分の性能の過程が、とっても面白く感じられる。

つまり、いろんな状況があって、速いだの、遅いだの、ああだこうだとありますが、全ては、自分の性能を上達させる事が目的で、面白さは、その上達のプロセスを感知し続ける事が、面白さそのものではないかと思います。上手くなりたいと思い、でも、遠い未来にある上手くなった結果が面白いのでは無く、日々のプロセスこそが面白さ。小さなひとつが解ると、それだけで面白い。そういう積み重ねだと思います。でも、これは上手くなりたいという目標が無いと見過ごされる事かもしれません。

ですから、セーリングだろうが、クルージングだろうが、上手くなりたいという目標を持ちつつ、日々を楽しむ事で、確実に上手くなり、それが面白いという事だと思います。自分の性能アップという手段こそが面白さをもたらす。それで、ヨットの性能は、自分の方向性の味方になってくれる性能を持つヨットとなり、自分の性能がヨットの性能を超えたら、或いは方向性を変えたりすると、買い替えしたくなります。自分自身の性能は如何にと気にしている事が大切なのではないかと思います。


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