第二十四話 憧れ


      

昔、若い時、スポーツカーに憧れを抱いた事ありません? 何かに役立てる為に、何人乗りとか、荷室の広さなんか全く気にせず、ただ、その美しいスタイルとそのスピード感で、その走りを味わってみたいと思った方は少なくは無いと思います。

今日、生活はますます便利になり、仕事だって便利になってきました。また一家に2台、3台の車もそう珍しい事では無い。そうすると、2台目、3台目の車には、遊び心満点のスポーツカーと考える人達も居ます。何故なら、楽しいからです。何かに役立てようなんて考えない、感性の車は楽しいのです。そこでヨットはと言うと、一艇目からして何にも役立たないのです。でも、習慣的に何かに役立つ事を考えてしまう。でも、それを吹っ切ったら、自由に感性で選択する事ができるようなる。

そもそもヨットはそれに近いものがある。無駄の象徴的存在のひとつかもしれない。だからこそ、面白いのであって、何かの役に立つなんてのjは、遊び心を阻害する。さらにそれを追及したのがデイセーラーだろうと思います。スポーツカー的なニュアンスがあります。スポーツカーは若い人達には似合わない。むしろ、ある程度の年齢を重ねた人達の方が似合う。そういう人生の経験を積んだ方々に是非、デイセーラーをお薦めしたい。遠くに行くだけがヨットじゃ無い。自由自在にスイスイ感を味わってくる。それがどうしたと問われれば、返答に困るかもしれないが、このコロナ禍で解った事は、遊びは無駄では無かった。むしろ、人間にとって絶対必要なものである事、それは人間という、決して合理的とは言えない生き物だから。だから、各人の感性に響く事が必要です。そして、デイセーラーに求めたのは、スポーツカーの様な、美しくて速く走れる感覚です。

美しさにはいろんな好みがあるだろうが、それでも、やっぱりデイセーラーは美しい。何故なら、キャビンの広さとか、快適さとか、そういう事に縛られていないで良いと市場から認められている。縦横高さの比率が自由にデザインできる。それなら、思い通りのデザインを施す事ができる。という事で、多くのデザイナー達がデイセーラーのデザインをしたがる理由はここにある。キャビンの天井の高さを、身長を考慮してデザインするとなると、それが全体のデザインに影響します。

写真はオランダのイーグルイ38,デザインは、あのHoekデザイン。前後に長く延びたオーバーハングは、無駄に見えて、逆にこれがあるからこそクラシックの美しさが強調されている。クラシックデザインは数々あれど、これほど潔くデザインされたヨットは他に無いだろう。ヨットは遊びである事、その究極の遊びを求めたのがデイセーラーなのでは無かろうか?美しさの感覚、走りの感覚、そういう曖昧なフィーリングを最前線に持ってきたヨットなんだろうと思います。役立つとか、レースで勝てるとか、広いキャビンとか、そういう事に縛られず、快適セーリングにおけるセールフィーリングと、その使い易さを求めた。

あれもできない、これもできない、でも、最高の美しさと走りのフィーリング、それだけで良い。そんな割り切りができる人は少ないが、もし、その一人になれたら、それこそ最高のヨットライフを味わえるのではないかと思います。全く合理的では無いです。でも、人はどこかでその非合理性に憧れる。合理的生活と全く非合理な遊びという感覚。このバランスをどう取るか?合理性は頭で理解され、非合理性は感覚で感じるものではないかと思います。 生活は合理的に、遊びは非合理であろうとも感覚的に。

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