第五十一話 セーリングの面白さは感覚次第


      

セーリングを続けていくと、そのセーリングに対し、自分の感覚がより敏感になっていきます。それは何だってそうで、意識している事を繰り返しますと、そこに詳しくなります。以前は解らなかった小さな変化に気づくようになって、気づけば、それに対して何らかの操作をする。そうしたら、また変化を感じます。スピードだったらスピード計の値に出ますが、スピードとは違う変化もあります。スピード計にしたって、パラパラ変化し続けるわけで、自分が感覚的に感じる変化はとても重要だし、面白いのはそこではないかと思います。

バックステーを引いたり、バングを引いたり、或いは緩めても、その変化が解らないとしたら、あまり面白くない。でも、最初は理屈に従って、自分でも考えて、そういう操作を続けます。そうしますと、そのうち変化が解るようになる。それは自分の感覚が研ぎ澄まされてきたからです。解らないのは、自分の感覚が、まだ鈍感だからです。その微妙な変化を感じれる程、鋭敏では無いという事になります。という事は、セーリングを続ける意味は、自分の感覚を洗練させていく事であり、それが面白さに繋がっていくのではないかと思います。

レースは順位が決まりますから、それを面白さにする事ができますが、セーリングに順位は無いので、何を目標にするかは、自分の感覚という事になります。そういう意味ではレースやるより難しいと言えるのかもしれません。でも、何かを感じた時、これはとっても嬉しくなります。もちろん、頭での理解も深くなる。何もプロになろうってわけじゃ無いわけですから、自分のペースで、セーリング中は自分の感覚を意識してはどうでしょうか?また、一旦得た洗練され感覚は、その後、失われる事は無いと思います。頭は忘れますが、感覚は忘れない。のんびり走ってる時だって感じるようになります。

誰もが、自分の周りで何が起こっているか、自分が何をしているかに注意を払いますが、その意識の半分でも、自分の感じている感覚や、何を考えているかを意識してみると良いのではなかろうか?

昔、セーリング中に、何と滑らかに走るんだと感じた事がありますが、その時の同乗者には全く解らなかったという事がありました。解るか、解らないか、感じるか、感じないか、特に、感じる事は自分の意思でどうにかできるものでは無く、自然に感じるものは感じるし、感じないものは感じえない。つまり、意思でどうにかできるものではありませんので、徐々に鋭敏になって、進化し続けていく。そして、いつか、感じるもの。それを敢えて、意識しておこうという話です。

もちろん、誰でも感じてます。舵を持つ手に、シートを引きく手に、ヒールした時の身体に感じます。でも、もう少しちゃんと意識して、もっと感じてみようという事です。それを続ける事で、感覚は洗練されていくと思う次第です。感じる全てを意識します。考えている事も意識します。意識するだけで充分、感覚は自然に洗練されていくと思います。

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