|
遊びは単に楽しいだけが遊びでは無いと思います。何かを求める探求心を満たしていくのも”面白さ”という遊びの重要な部分だと思います。その対象は何でも良いんですが自分が興味のある対象で無ければ長く続ける事ができません。何事も長く続けるコツはこの探求心にあるのではないでしょうか。興味の深さ次第、或いはひとつの興味から次々に展開していくか次第だと思います。
現代の世の中は次々に便利なものを提供し続けてくれています。その便利さに人は惹きつけられていきます。これは進化の原動力のひとつだと思います。ヨットとて同じで昔ほど体力を使う必要が無くなって楽になってきました。ならばもっと多くのヨットが稼働しても良いはずです。動かすのに何人も必要だったのが少人数で、或いは一人でも動かせる。年齢を重ねて体力が落ちてきたとしても電動によるボタン操作でできる。スラスターもあるし容易に出入港もできる。にもかかわらず全体の稼働率は低いですね。動かないヨットが多いと言いますか多過ぎる。
便利になっていくのは世の進化の習わしですからこれらを拒否する理由はありません。おおいに利用してより簡単、より楽になって良いと思います。但し、便利さは必ずしも面白さをもたらす事にはならないと思います。便利さは面白さを探求するにより容易にできるようになるという事です。ですから、昔はいろんな事をしなくてはならなかったのが今では少人数で、ひとりでも楽にできるようになりました。という事は本来はもっと稼働率が高くなっていくのが普通ではないかと思います。
が、しかし、実際はそうでは無い。何が足りないのか?便利になっても求める処が無いのなら同じ事、むしろ、簡単に出来るのですから、昔のようにあれもこれも、ああでも無いこうでも無いとやってた時の方がまだ面白さを感じていたのではなかろうか?という事は各人のオーナーがその便利さのうえで何を求めていくか? そこにかかっているのではなかろうか?
クルージングならより頻繁に行ける、あっちこっち行ける、ピクニックしかり、セーリングにしてもしかり。ジブシートをもう少し締めたいと思ってもこの強い風でウィンチを回すのはしんどいというのが今ではボタンひとつだから簡単です。以前、そういうヨットのでかいのに乗っていたのですが少しの調整でも何て事は無い、躊躇する事も無くウィンチのボタンを押していたわけです。マニュアルでなら、少しぐらいならまあ良いかと、ウィンチを回す労力を惜しんでいたかもしれません。そしてボタン操作でも調整前と後での違いは感じれるわけです。
オートパイロットに舵を任せても良い。でも、自分で持てば舵から伝わる波の抵抗とか振動とかいろんな事が解ります。スラスターが無ければ自分で判断して操作しなければなりませんが、その分上手くもなる。だからと言って便利を拒否する必要は無くそれらを使ってより探求心を膨らませていければ昔より、より面白さを味わう事ができるのではないかと思います。
自分のヨットのセーリング性能は如何にと探求してみるのも良いかもしれません。性能が高いか低いかを問うわけではありません。ですからクルージング艇だって良いわけです。例えば、風向に対して何度で上れるのか?その時のセーリングしている状態はどうか?どうタックするか、タック後はどうか、何度で走ると最も速いのか、ジブやジェノアは何度ぐらいまで使えるか、ジェネカーやコードゼロはいつ使うか?何が違うか、それら使うに何人必要か、ひとりでもできるか、上りと下りはどう違うのか? あげればキリがありません。そしてひとつの探求からどんどん派生して次々に疑問が興味が湧いてきます。これらが昔のヨットより少人数でより簡単に求める事ができるようになりました。これらが解ってくると何が違ってくるのか?解るというのは物理的に操作が上手くなるという事ですが、重要な事はそれらによって自分自身が違いの解る男になれるという事です。違いを感覚的に捉え感覚を遊ぶ事ができるという事です。ほんの僅かでも操作する事によって感覚的に速くなった時嬉しいですよね。計器では解らない事も感覚は解る。
結果、造船所はより大きなヨットを建造していきます。それでも現代のパワーアシストを使えばなんてことはない。確かにそうだと思います。でも、便利さを駆使してより稼働率が高くなったという方向も増えていくと良いなと思います。それを可能にするには各人の探求心なのではないかと思います。これはヨットに対するソフトです。これまでも何度も書いてきましたが、物理的な進化はどんどんもたらしてくれますが、ソフト無しではどうにもならない。このソフトを発展させる方法は探求心ではなかろうか?
|
|