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人間が発明した動力を使えば便利さが味わえます。思い通りの方向に、思い通りのスピード(限度はありますが)で、時間も計算できる。計画通りです。発展の歴史はは便利の歴史でもある。便利最高!
でも敢えてヨットに乗るのは何故か? ヨットも便利になりました。でも、まだまだ計画通りとは行きません。不便もあります。がしかし、便利の代わりに多くの物を手に入れる事ができます。要はヨットやるというのは便利な世の中にあって敢えて不便でもその中にあるみんなが求めないかもしれない情緒やスリルの感覚、無益な行為という便利とは逆の中にある種の生きているという実感を得る事だろうと思います。
風に吹かれる。波に揺れる。飛沫を浴びる。そんな自然な動きに便利さで対抗せずにそのままを受け入れて人力や知恵で対応する自然の人間力みたいなものに何かを感じる。自然としての人間に出来る事を精一杯やる事で何か清々しい感覚を味わう。これは動力を使わないから味わえる人間ならではの感覚、喜びや辛さもある。原始的な感覚かもしれません。でもそれは人間が持つ知恵ともうひとつの感覚を刺激する。それがスポーツなのかもしれません。身体を動かして何かをするのはスポーツです。
そこでヨットをやります。目的は自然のある状態をそのまま受け取って味わう事。知恵を使い感覚で受け取ります。それだけなんですが日常生活では使わない知恵や感覚です。それらはきっと豊さを育てていくもの、便利さでは味わえない別のものを取り入れる事、それはお金とは違う豊さを得る事になるのではなかろうか?もちろん、受け取り方次第ではありますが。
やれば上手いとか下手とかありますが、それが問題では無く豊さが重要なのではなかろうか?もちろんちょっと乗っただけでは解らないかもしれませんが積み重ねていけばいつか気づく事ではないでしょうか?以前、書いた事ではありますが、あるフラン人と一緒に乗った時、飛沫が飛んできてその飛沫を避けもせずに身体中で浴びて大喜びしているシーンがありました。もちろん夏でしたが、濡れても帰る頃におは乾いてる。何も問題は無い。その飛沫を反射的に避けようとする自分自身、そこの違いは何か?何かあれば便利を求める方向で知恵を使います。でも、自分で何とかしようという知恵の使い方もある。前者は便利を生み出し後者は必ずでは無いかもしれないが面白さを生み出す可能性はあるんだろうなとは思います。要はバランスを考えた方が良い。どれだけ便利に対抗できるのか?その丁度良いバランスはどこに?
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