第三十一話 レーサーVS.クルージング

レースの世界とクルージングではますます開きが出てきているように思います。レーサー
はますますセーリング性能が上がり、オーナーはますます敏感になってきている。もちろ
ん一部のグランプリレーサーでの話ですが、あるオーナーはステアリングホィールをカーボ
ンで造られた。どうです?カーボンの感触は?こう聞きますと、微風で、ちょっと軽いブロー
が入っても、ステアリングを持つ指先にふっと伝わってくる。こう言っておられた。こういう
微妙な部分にまで気になるものだそうです。これがステンレスのステアリングではこうは行
かない。

一方クルージング艇は、ますますセーリングするという事自体にうとくなってきている。レー
サーはより敏感に、そしてクルージングはより鈍感になっている。何も、クルージング艇に
カーボンラットを付けなさいなんて事を言っているのでは無いのです。そこまでやる意味は
無い。しかしながら、クルージングにはセーリングという行為は含まれていないのかと疑い
たくなってきます。レーサーはより敏感なセーリングをして、クルージングはどこかに行くの
を楽しみにしている。本当にそれで良いんだろうか?どこかに行くのは、70〜80%はエン
ジンを使う。本当にこれで良いんだろうか?

クルージング艇はますますセーリングをないがしろにしながら、より大きなエンジンと、より
広いキャビンとを実現し、セールはパワーを失いつつある。どこかに行く為にはヨットに乗るが
セーリングする為では無い。それが実用性のある車なら、それでも良いかもしれないが、ヨット
に実用性は無い。こういう行為はヨットのほんの一面だけを見ているよな気がします。何故、
レーサーがわざわざカーボンラットを造るのか、そういう事をもちょっと考えた方が良いのでは
ないだろうか。もちろん、最高の走りをする為であるが、レーサーは目的が明確であり、その
明確なコンセプトに忠実です。一方、クルージングというのは非常にあいまいで、セーリング
から移動、住み込むまで幅が広い。よって、コンセプトが絞り込まれていない。或いは、的を
得ていないのではないかと思います。

はるか遠くを目指す事をコンセプトに、実際は週末しか時間が取れない人達。気持ちはわかり
ますが、キャンピングカーを日常の車にしているようなものです。それで買い物にも行くし、通勤
にも使う。家族でちょっとしたドライブにも、遠方にも行く。確かに、何でもこなせるかもしれませ
んが、こんな車はうっとしいだけです。車は2台、3台の時代ですから、それなりの用途別に使い
わける事ができますが、ヨットはそうはいかない。そうはいかないからキャンピングカーにして全て
をカバーしようとする。これには無理がある。

極端にキャビン不要と言っているのではありません。どんなヨットでもキャビンはある。だから、心
配は要らない。ただ、意識をどこにおくかではないかと思うのです。レーサーほど走りにこだわる
事は無いのですが、ないがしろにしてしまうのもどうか、クルージング艇でも、セーリングは大切
な要素であるという事を意識して、ヨットをどう運営していくか。ここに鍵があるような気がします。
それでも、そんなヨットでも、どこだって行けるし、寝泊りもできるし、住むことだってできる。クルー
ジングという言葉で、セーリングはどうでも良いという認識が強くなり過ぎてきている。どんなに
機走が速かろうが、どんなにキャビンが広かろうが、セーリングの面白さにはかなわない。その
最も面白い物を削って造るヨットはある程度は仕方無いのですが、いき過ぎはいけません。どうも
最近のヨットはいき過ぎです。あきらかにクルージングボートであって、セーリングクルーザーでは
無い。それを当たり前と思う意識が、ヨットを動かないものにしていると思うのです。欧米人には
それでも合うのかもしれないが、日本人には合わない。

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