第五十六話 釣りとセーリング

先週末、以前レストアをしたSK25というヨットのオーナーと一緒に2時間ばかりのセーリング
を楽しんできました。気持ち良い風で、涼しい感じ、二人で乗りましたが、実質的にはシングル
ハンドを交代で楽しんだ状況です。

片手に舵を握り、片手にシート、クローズで走り、舵に伝わる感覚と、シートを出したり引いたり
して動くヨットの感覚を感じながら、実に楽しい、いや単に楽しいというより、ぞくぞくする感じさえ
あります。この感じをオーナーにも味わって頂きたく、交代して、オーナーにも味わっていただき
ました。

まるで、魚釣りのヒットした時と同じように、ぞくぞくするような感覚です。釣りは究極的には魚が
目的では無く、そのヒットして釣り上げるまでのぞくぞくする感覚を楽しんでいるのだろうと思いま
す。このぞくぞくする感覚が全く無いとしたら、結果としての魚だけしか無いのであれば、これだけ
多くの方々が夢中にはならないと思います。

どこかへ行くというのも似たようなところがあるのではないか。せーりんぐというぞくぞくするような
感覚無しで、どこかに到着する。それはそれで、そこを楽しむ事ができます。それは釣った魚を
おいしく食べれるのと同じです。でも、釣り上げるというぞくぞくした感覚があるからこそ、釣った
魚は何倍にもおいしくなるし、セーリングというプロセスを楽しんでこそ、行った先も何倍にも楽し
めるものではないかと思うのです。

ただ、セーリングの場合はプロセスを楽しんで、その結果は既に得ているので、結果がどこにも
行かなくても良いのです。それは、釣り上げ様としてばらした魚とは違います。プロセスが重要で
結果は不要なのです。だから、セーリングを楽しむ事と、結果であるどこかに行きつく事を別々に
捉えることになる。確かに、その両方があわさったら最高でしょう。でも、それらは別でも構わない
でも、プロセスであるセーリングの方を忘れてはならないと思いますね。あの、ぞくぞくする感覚は
どこかに行くよりも何倍もぞくぞくします。

釣りはより多くを釣り上げ様とします。或いは、もっと大きな魚を釣ろうとします。一旦味わったぞく
ぞく感を忘れられずに、さらにもっとと思います。ヨットでも同じです。どこかに行って楽しければ、
もっと遠くに行きたくなるし、セーリングして楽しければ、もっと味わいたいと思う。どちらでも良い
のですが、どこかに行くのは制限されます。でも、セーリングにおいては、その制約は少ない。
自分さえその気になって、セーリングすれば良い。ただそれだけです。どこかに行く喜びは、誰でも
想像できます。みんなどこかに行った事があるからです。旅の楽しみを知っています。でも、セーリ
ングのぞくぞく感は、経験したものでないと解らない。しかも、魚をゲットするという具体的な結果が
無いだけに、より想像しにくいかもしれません。しかし、セーリングは、あの釣りで、ヒットした時の
ようなぞくぞく感があるのです。味わってほしいのは、この感覚です。ヨットが大きいとか小さいとか
そんな事は関係ありません。ぞくぞくするような、しびれるセーリングを是非味わっていただきたい。

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