第六十一話 冒険

冒険というのは、男心をかきたてる何かがありますね。退屈な日常から、時には興味をそそる
何かにひかれ、無性にその何かをしたくなる時があります。そして、日常の退屈さが、さらに
心の中で強調され、何かをしたくなる。冒険と言えば、世界一周のような命をかけるような物
でなくても、ちょっとした未知の世界へ踏み込むだけでも冒険たりうる。

そうやって、人々は山に登り、空を飛び、海を渡る。海というのは、陸上からちょっと離れるだけ
で不思議と別の世界が広がる。何故なら、そこが実に不安定な場所だからではないでしょうか。
海岸近くとはいえ、海底までは数メートルから数10メートル、岸まで泳ぐには相当ある。頼りは
自分が乗ったヨットだけ。何度海に出ても、やはり陸上の安定感とは全く違う。歩いて帰れない
し、タクシーなど拾えない。これは不安定以外の何物でも無い。この不安定さが冒険、小さな事
であっても、冒険は冒険で、日常の世界とは全く違う。

ヨットに何を求めるか?快適さを求めるのは冒険では無く、楽しみ、快楽、安全な場所で快適に
過ごすという事では冒険にはなり得ない。という事はエキサイティングでも無ければ、感動を呼び
起こす事にもならない。しかしながら、セーリングというのは、ヨットの持つ本来の、第一の特性で
あるが、この特性は、遠かろうが、近かろうが、乗り手にある種の冒険を与えるものである。

不安定さの中に居ながら、そのバランスを取る。そればかりか、自然の変化にうまく対応しながら
セーリングする様は、その変化が実にバラエティーに富んでいるので、いろんな冒険をする事が
できる。そして、冒険であるからこそ、感動を呼ぶ事もある。つまり、リスクを負わなければ、リター
ン、感動というリターンも無い。

リスクは自分のレベルで自分が決めれば良い。自分のレベルを超えるところに、相応のリスクが
あり、感動がある。風が変化し、波が変化する。そこに自分の頭脳が割りこみ、ヨットとのバランス
を模索していく。うまくいけば、最高の滑かな走りを経験できる。それがどんなレベルであっても
そのレベルの冒険と感動がある。そこに達すると、次のステップへと進行し、さらに次へと、進み
終わりが無い。常に、自分がその気であれば、いつもヨットは冒険でありうる。それは、より遠い
海を目指すとは限らない。行動半径は限られていても、ヨットはセーリングをする限り、同じ場所で
あっても、常に自然が変化する限りは冒険であり得ると思う。但し、セーリングを真剣にする限り。
だから、世界一周でも、デイセーリングでも、冒険となり得る。世界一周は場所が目的であり、セー
リングは場所では無く、セーリングそのものが目的であるので、種類が違う冒険なのです。

日常にちょっとした冒険を!!充実したヨットライフは充実した人生となる。快楽だけでは不足を感
じるようになる。退屈になる。ヨットから離れてしまう。でも、離れる前に冒険してみましょう。

次へ      目次へ